ちょっと横道へそれるが
解いておいた方がよい誤解を持たれたままなので書いておきます。
お目にかかったことのない人によるブログが、
ご本人にとっては非意図的にかもしれないが、
不気味なネガティブキャンペーンになっている。
長野県が村井仁県政にあった当時、
「浅川ダムの穴あきダム計画では、洪水の軽減効果は、
私の取材によれば5ミリ程度です。」
と私がどこかで書いたのを捉えて、「誤解がある」「無責任だ」と批判し、
持論を展開されている。
そこで、すぐに県職員の言葉が情報源であることを書いた記事を示した。
(『浅川ダムは5ミリの「減災」にしかならない」』週刊金曜日2007年3月30日号)
ところが、「誤解」だというブログは、今も訂正もされずに放置されている。
結論から言えば、このときの職員の言葉(私の記事)は、
データを伴って本当だったことが改めて証明された。3年後のことだ。
先に証拠を示しておきます(クリックで拡大)。
出典は長野県庁(PDFのP.35)
http://www.pref.nagano.lg.jp/doboku/kanri/shomu/hokoku.htm
これはどうやって出てきたかと言えば、
長野県・吉村午良県政で始まった治水・利水の県営ダムから、
田中康夫県政の「脱ダム」、
村井仁県政で水を貯めない穴あきダム(治水専用のダム)と紆余曲折し、
2010年9月に「県民の皆様へ説明責任を果たしたい」との公約で当選した
現・安陪守一知事が、前政権の本体着工を前提に論点整理を行って
「継続」を決めたときに出た。
このナンセンスな決定については
長野県の負の遺産、浅川ダム
──治水へのマイナス効果をどう見るのか──
「世界」2012年2月号 で書いたので、そちらで見ていただきたいが、
上記の長野県資料で二つの事実が明らかになった。
1.基準となる地点での最高水位が
ダムができても約1センチしか下がらない。
2.ダムがない方が早く水位が下がり始め、
氾濫時間はダムがあった方が1.5時間も長い。
こんな公共事業が成り立つなんて、許し難く、信じられないが、
信じられない人は報告書なり知事なりにあたって確認をして欲しい。
体制に対峙しながら発信することは容易ではないし、
何かと誤解をかけられるのは仕方がない。
しかし、それらしい言い方で 、
他人の信用性を落とそうとする人が存在することは
なんとも切ない。
第7回「利根川・江戸川有識者会議」が
2012年10月16日(火)15:00から日本青年館3Fで行われる前に
本日中にまとめておきたいことが押し寄せて、昨日からずっと
頭の中でジャムっている。予告編を書いて整理する。
● 第6回利根川・江戸川有識者会議(2012年10月4日)で
1)東大モデルが証明した緑のダム機能を東大教授が自ら「誤差」と読び
しかも、その「誤差」は八ツ場ダムの効果よりも大きいこと。
2)昨年、指摘されたインチキな資料を関東地方整備局が
再び平然と出してきたのに、それを引っ込めさせないこと
3)傍聴者の意見を認めるてはどうかという有識者会議委員の提案について
国交省(事務局)が規約に反して運営を牛耳ったこと
●10月12日、八ツ場ダム等の地元住民の生活再建を考える議員連盟総会
(会長・川内博史衆議院議員、事務局長・初鹿明博衆議院議員)が開催され、
河川整備計画の策定内容と官房長裁定の解釈のとらえ方が議論となったこと
●10月12日、「指定廃棄物」の取扱いについて提案を行ってきたこと
●10月12日、iPS細胞実用化の誤報を契機に日本が整備すべき制度のこと
●10月12日、東電の新体制が目指している結論がすでに見えてきて残念なこと
これらとは別に抱えている仕事のうち
早急に進めなければならない3つを進めながら
上記をどうしても書いておきたい・・・。
その前に空っぽになった冷蔵庫の中身の買い出しに行かなければ。
明日は明日でやることがある。これを全部今日、できるかどうかは疑問・・・。
そう思いながらも、今日書くことで、明日は少し違う世界が作れるかもしれない、
と思うことを諦めることができない病。
結局は、体力が続かず、挫折を繰り返し、ぶざまな姿を曝し続けるのだが・・・。
知人が先週の火曜日に亡くなった。
前のめりで死ぬしても、私はどこまで世の中に寄与してから死ぬのかなと考える。
過去と現在の複数の取材を同時に進めると
日本社会が「何も学んでいない!」ことへの驚きでたじろぐ。
●企業の責任
7月末に取材した四日市公害訴訟のシンポについて
Actio10月号向けに記事にした。原告勝訴の判決の中にはこう出てくる。
「少なくとも人間の生命・身体に危険のあることを知りうる汚染物質の排出については、企業は経済性を度外視して、世界最高の技術・知識を動員して防止措置を講ずべきであり、そのような装置を怠れば過失を免れないと解するべきである」
社会が何も学ばなかった結果が「規制の虜」となった福島第一原発事故だったのだ。
●公文書管理
「機密を開示せよ 裁かれる沖縄密約」西山太吉(岩波書店)2010年9月
を読んでいるさなかに
8月29日にMV22オスプレイの配備に関する辺野古基地問題の防衛省・外務省ヒアリングを取材した。(沖縄ジュゴン環境アセスメント監視団、沖縄・生物多様性市民ネットワーク、沖縄一坪反戦地主会・関東ブロック、日本自然保護協会と国会議員によるもの)。
若干の違いはあっても、問題の根っこはまったく同じだった。
これは今週の週刊金曜日のアンテナ記事になる。
● 上記の本を本日後刻、移動しながら全部読み終わったら、次は
「報道弾圧」元朝日新聞記者 吉竹幸則(東京図書出版)2011年12月
を読む(一気に密度濃く読もうと思ってまだ読んでいない)。
この本は、私が1995年に社会の片隅から追い始めたことに先行して
社会のど真ん中で起きていた河川行政を巡る
「報道の裏側」の謎解きになるのではないかと期待している。
東電側から「国立公文書館」の言葉が出たの続きです。
フリーランス連絡会の3つの申し入れに対し、
回答期限である8月31日、連絡先を引き受けている寺澤有氏のもとへ
内閣官房、経済産業省から回答が届いたのだそうだ。
共有してもらった回答をそのまま以下に抜き書きしておく。
=== === === ====
■ 申し入れ1
東電・政府合同会見の最低月1回の開催
□原子力安全・保安院 電力安全広報課の回答
昨年のステップ2完了時の政府・東電統合対策室合同記者会見の場で、細野大臣から「個別の記者会見という形でこれかも積極的な情報提供、そして皆さんからのご質問に答えることは続けさせていただく」旨を申し上げている。現状において、閣議後会見や府省等による定例の会見が頻繁に実施されており、引き続き、個別の記者会見を通じた積極的な情報発信等に心がけていきたい。
■ 申し入れ2
福島第一原発関係資料の公文書管理法に基づく政府(国立公文書館)管理
□資源エネルギー庁電力・ガス事業部政策課の回答
映像の公開により、例えば、一般社員やその家族の安全が脅かされたりすることのないよう、一定の手立てが講じられることが必要であり、そうした観点を踏まえつつ、東京電力が国立公文書館に寄贈することが可能かどうか検討しているものと承知している。
■ 申し入れ3
東電を含む、税を投入した私企業等の情報公開法の制定
□経済産業省大臣官房情報公開推進室の回答
情報公開法は、「国民」と「政府」の関係を前提として、行政機関等を対象に、その保有する文書に対する開示請求権を定めることにより、情報の公開を推進するものであり、公的資金が投入されているとはいえ、私企業をこの情報公開の枠組みの対象とすることは法体系上困難であると考える。
一方で、公的資金が投入されている企業が、そうでない一般的な企業以上に、自主的かつ積極的にその情報を公開していくべきことは当然であると考える
=== === ===抜き書き終わり====
1と2は想定内の回答で、機会のあるごとにプッシュしていくしかない。
3のスットボケぶりは興味深い。
日本の情報公開法には、行政機関を対象にした情報公開法と
独立行政法人を対象にした独立行政法人情報公開法の二つがある。
第一、第二の情報公開法の枠組みに入れることはできないことなど承知の上で、
第三の情報公開法が必要ではないかという意味なのだが、スットボケた回答になっている。
この申し入れの背景には
経産省の情報公開推進室が指摘しているように、東電が
「一般的な企業以上に、自主的かつ積極的にその情報を公開していくべき」であるにもかかわらず、重要なテレビ会議画像を名ばかり公開で済まそうとしたこと、
「東電情報公開法があってもいいぐらいだ」と
東電株主代表訴訟の弁護人、海渡雄一弁護士が
3.11後の東電テレビ会議動画の保全を求める会見で述べておられたこと、
それに、
その株主総会が公開で開催されるべきところ、非公開だったために
配信を試みたフリーランスジャーナリスト木野龍逸氏を
東電が未だに東電施設から締め出していること、
その他、書ききれないほどの諸々の事情がある。
それぞれが一瞬にして忘れ去られてしまいがちなほどに
毎日、たくさんの問題が起きている。
それだけに、情報流通のインフラ整備をきちんとしておかないとダメなのだ。
取材者の仕事は仕入れた情報を分かりやすくより多くの人と共有することだ。
その任務を放棄するつもりはないが、
取材者が気づけることは国民全体が気づけることの一部でしかない。
報道に携わる者は、情報流通のインフラ整備について人一倍神経質を注ぎ込まなければと思う。
情報を媒介するメディアとして申し分のない活動をしている
NPO法人OurPlanet-TV(代表理事白石草)=アワプラが、
官邸前の金曜デモを俯瞰する映像を取るために、
官邸前にドンと建っている「国会記者会館」の屋上を使わせて欲しいと頼んだ「事件」をご存じだろうか。
本来なら「ハイ、どうぞ」で済むはずのことが、
済まなかったために、記者クラブ裁判に発展している。
そのことはこちらの記事で書いたのでお読みいただきたい。
■「金曜デモ」撮影求めて仮処分申請
国会記者会が屋上使用拒否(週刊金曜日2012年7月27日号)
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20120807-00000301-kinyobi-soci
記事を書きながら、なぜ「常識」で考えればアワプラに屋上を使わせるという
なんの差し障りもないはずのことにNOと言えてしまうのか、
その根拠は何かと、衆議院に開示請求をしてみた。
(国会を対象とした情報公開法は未だないが、
衆議院事務局の保有する議院行政文書の開示等に関する事務取扱規程ならある。)
請求をしたのは「国会記者会と衆議院とで取り交わした
国会記者会館の使用に関する規約または合意内容等に類するもの」。
出てきたのはこの文書→国会記者事務所の使用について(6頁)PDF
国民の知る権利に直結するのでそのまま掲載しておきます。
↑これをもとに先週の週刊金曜日(下記)で記事を書いたが、誌面が足りなかったので、考えるべき多重の意味を書き連ねておく。
1.マスメディアは金曜デモを当初ほとんど報道しようとなかった。
2.国会記者会は報道し続けてきたインターネットメディアの屋上使用を拒んだ。
3.国民の知る権利を拡大することが存在意義である1メディアが
裁判所に公正な判断を訴えたのにもかかわらず、
東京地裁は確固たる根拠を求めもせずに
国会記者会や衆議院の言い分を鵜呑みにして、取材する権利を却下した。
それは、存在意義を却下し、メディアに死ねと言っているようなものだと気づいていない。
4.この件に疑問を持った1ジャーナリストが行った一枚の情報公開請求ですら、
マスメディア(国会記者会)による屋上使用拒否には根拠がないことが分かるのに、
東京高裁はその根拠文書の提出すら求めずして、アワプラの抗告を即日却下した。
5.アワプラはその後、衆議院に対してもう一度真っ正面から、
たった5メートル四方の屋上使用を申請した(涙ぐましい)のにも関わらず、
衆議院はそれをまた拒んだ。
上記に掲載したように、拒む根拠はないことは百も承知なので屁理屈で。
国権の最高機関がこんなザマなのだ。どうする国民?
6.この後、別のフリーランスジャーナリスト三人も、国会記者会に対し
たった10分の屋上使用(代表取材)を求めてみたにもかかわらず、
これも拒否されている。記者会は10分たりとも既得権を譲りたくないのである。
何を意味するか?
1.マスメディアは自らが機能不全に陥っていることを深刻視していない。
2.裁判所は常識でものが考えられないバケモノになった。
3.既得権者は、既得権を脅かす者(新たなメディアやフリーランス記者)から既得権益を守るために、持ちつ持たれつでかばい合う状態にある。
4.新しいメディアやフリーランス記者は、常に既得権者と闘わなければ、おちおち伝えたいことも伝えたいように伝えることができない。
これはすべて、「国民の知る権利」の阻害につながっている。
関係記事
■国会記者会館屋上の使用拒否に根拠なし
衆議院の苦しい言い訳(週刊金曜日8月31日号のアンテナ・目次では現れません)
http://www.kinyobi.co.jp/news/wp-content/uploads/2012/08/120831-003trim.pdf
■NPO法人OurPlanet-TVのこの件に関するウェブサイト
http://www.ourplanet-tv.org/?q=node/1410
昨日は早起きをして四日市へ鈍行列車でいってきた。
取材の準備作業なのでお金をかけられない。
往復だけで12時間もかかったが有意義(電車の中で涼しく色々整理できたし)だった。
準備作業以上のこの上ない話が聞けた。
これはこれできちんとアウトプット(仕事)しておこうと
朝5時半に起きた。
しかし、7月16日と7月22日に足を運んだ利根川の堤防について、
写真を載せてと頼まれていたのを思い出した。
載せてみたら、堤防写真だけでは意味が分からない。
キャプションぐらいつけておかねば
あとで自分が見ても分からなくなる。
7月16日は
国交省の利根川上流河川事務所による出前講座。
神出鬼没な今村博健京大名誉教授も参加した。
かつて「河川ムラ御用学者」で
淀川流域委員会にかかわって改心をした異色の学者だ。
「僕が学生の時代は
『利根川の治水の要諦はカミソリ提』だった。
カミソリといっても薄いという意味ではない。
左岸がよく切れるようにする、
東京側ではない方が切れるようにする
東京を守るのが利根川の治水だと言われていた」
という言葉が印象的だった。
利根川上流河川事務所の職員も頷いていた。
彼らの年代でもそのような教育を受けたのか・・・。
この16日の出前講座は、
7月22日に開催される利根川流域市民委員会主催のツアーの
下見を兼ねての内輪ツアーだった。
本番では、新潟から大熊孝新潟大学名誉教授が参加した。
河川ムラ御用学者ではない二大河川工学者が相次いで参加した。
基本的に勉強が嫌いで頭が悪い私は、
こうやって何度も同じ場所に行って
空気を吸うがごとく話を聞いてやっと物事が頭に入ってくることが多い。
本格的にアウトプットするまでにはもっと時間がかかる。
ちなみに、民主党政権が河川行政改革に失敗している大きな要因の一つは
この二人の河川工学者の存在を十分に知りながら起用しないからだと言ってもいい。
(行政改革は人事につきるのにもかかわらず)
ちなみに、この二人と、元河川官僚で河川ムラとおサラバをした宮本博司氏は、
宮本博司氏の参考情報例
(http://bit.ly/yAv0nt http://bit.ly/NOAg3g )
河川ムラにとっては最も都合の悪い学者と元官僚であり、
もう一人加えれば、今回のツアーを中心になって企画していた嶋津暉之氏は
東京都の研究所に所属していた現役時代から
行政や研究では変えられないと悟り、
徹底的に住民支援を続けてきた優秀な水問題の研究者である。
逆に言えば、この4人の専門家を起用すれば、
少なくとも「コンクリートから人へ~川編」については挽回の可能性がある。
しかし、プライドが高すぎれば、過ちを直視しない。
一緒に日本が沈没するのは困るので、
ちょっと先に目覚めた国民は河川の分野のみならず、どの分野でも
未来世代のために歯を食いしばっている状態だ。今晩の国会包囲もそうだろう。
ところで、昨日、四日市にいったのでいけなかったイベントがある。
「『東日本大震災被災地復興』にむけた緊急懇談会」。
二つの方向から案内が来て、是非、いきたかったが、
これはきっとIWJさんが拾ってくれると思ったら
やっぱり拾ってくれていた。↓
これは多くの人に知ってもらわなければならない先恐ろしい話です
http://www.ustream.tv/recorded/24297702
そんなわけで、「東日本大震災被災地復興」にむけた緊急懇談会を
IWJさんで聞きながら、7月に足を運んだ利根川堤防ツアーのブログを書くという
ながら作業で、朝5時半におきた理由であった四日市の話をまとめる時間が消えた。
これから国会包囲を取材(参加?)に行くまでになんとかしなければ。
飯田哲也さんの出馬表明を見ていると
「No Guts, No Glory!」という言葉が思い浮かぶ。
勇気なきところに栄光なし。
常識的に考えれば、飯田さんの立場では絶対に出馬しない。
自然エネルギー推進のオピニオンリーダーとして認知された、
無二の存在だからだ。その揺るぎない存在が
政治的に中立の立場でいてくれることが、
日本においては重要なのだ。しかし出てしまった。
構想力、実行力、ネットワーキング力、それに加えて、
今回山口県知事選に出馬表明したことでも分かるように「負けるリスク」も取る度胸。
(あるいは負けるとは思っていない楽観力)
(あるいは負けてもなんとかなると思っている根拠ある自信)
(あるいはたとえ捨て石になろうとも
閉塞感を打破しなければならないと考える決断力と軽やかさ)
これは数の力だけで物事を進めてきた守旧派にとっては
異質・脅威・未知数であると共にチョロい。
今回も数で勝てると思っているはずだ。
出馬表明のニュースに一番に祝杯を挙げたのは原子力ムラかもしれない。
これをエネルギー政策の転換点ととらえることができずに
いまだに古めかしい「イデオロギー」というメガネでみるムラ社会では、
原子力ムラ以外のムラというムラが結束してつぶしにかかるだろう。
当選すれば、合理性とは無関係な屁理屈で議会が県政を立ち行かなくさせ
落選すれば、中央官庁や自治体の審議会等などで
(任命権者(大臣等)が公平な考えの持ち主であれば問題はない)
飯田さんを起用しなくなるなんてことも考えられる。
飯田さんのような人であればあるほど、飯田さん自身が失うものはもちろん、
社会が失うものが大きいと、永田町・霞ヶ関界隈をよく知るものほど思うものだ。
しかし、そんな常識にがんじがらめになることを
軽やかに否定しているわけだ、この人は、
自分が苦労して築き上げたものを
「今しかない」と見極めると投げ出せてしまう人なんだ、
と先日、出馬会見を見ながら思った。
飯田さんの周辺では、「出馬して欲しい」という声と共に
多分、それ以上に、相当の「出馬反対」があったはず。
それでも「出馬」を決めたのは「No Guts, No Glory!」
オレが切り開く!の気持ちがあったからからだろうと推察する。
他の出馬予定者は山本繁太郎・元国土交通審議官と高邑勉・現役衆院議員
それに元山口県職員の三輪茂之氏だと言う。
山口県民は歴史にものを言わせてくれるのだろうか。
6月22日の官邸前デモのように↓、
(岩上安身IWJの画像、報道ステーション:リンク切れしたら失礼)
自分がまず動かなければと、エネルギーを沸き立たせ、
投票行動として見せてくれるだろうか。
飯田さんと、デモに参加しよう!と一歩前に踏みだし、
官邸前に集まった人々によって、私の頭の中には
「No Guts, No Glory!」に
やってみなければ分からない。
やってみずに諦めることはできない。
という新たな訳語が浮かんできた。
川の取材と、たまにくる依頼原稿(1年越しでやっと取材が終わった)と、林業誌(季報)の取材編集と、原発関係の取材と、利根川流域市民委員会の再結成集会で引き受けたパネルディスカッションで自分なりに感じた宿題(疑問)をこなすための勉強会開催と・・・、こんな人生選択を誰がした→ワタシじゃないかと自問自答して「ひたすら歯を食いしばって頑張る」日々が、年に約4回ある。分かっているのに、やってしまう。計画を立てることができない。一期一会!というと聞こえがいいかもしれないが、直感と衝動で動いてしまう。これではダメだと先日やっと分かった。
これからはプロになるぞ!と反省しつつ、最後の(願わくば)ドタバタ人生を展開した。
日替わりで、林業家のもとへ車をぶっ飛ばした(2キロまでしか拡大図を見せてくれないレンタカーのカーナビと自分の中途半端な土地勘の狂いまくり、高速道路の選択や降り口を間違って2時間迷った。カーナビや土地勘に依存して地図を見ずにレンタカーを走らせることはもう二度としない!先方のご厚意で最低限の取材はさせていただいたが、我ながら衝撃的な失敗だった)かと思えば、霞ヶ浦のほとりで川底に溜まった放射能を測るのがどれくらい大変な作業かを含めてエイサホイサと採泥器を引き上げて実感してみたかと思えば、マジメな勉強会をやってみたかと思えば、ここはネットのアーカイブではなくナマで見ておかねばと国会事故調へ行ったり、とにかく、取材・取材・取材が続き、カキ・カキ・カキが続き・・・、一段落して、え?掲載次号になったの?とか、え?あれ、ボツになったの?とか、ショックショックが続き・・・溜まりに溜まった疲れをほぐしたいと思って、近所に突然できたストレッチ屋さんに行ったら、これが気持ちいいこと!
と感動していたら、「好転反応」というものだと思うが、ダルイわ熱は出るわ・・・。
今度は、脳みそにつまった情報づまり状態を解消=情報共有をしてスッキリしたい。
優先順序不同で行きます。
日 | 月 | 火 | 水 | 木 | 金 | 土 |
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