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2014年6月16日 (月)

354.母を介護しながら息子が仕上げた本

ひねりなし。緻密。ただただ、記録されなければならない『戦後河川行政とダム開発』のことが書き付けられている。これは放っておいても、河川行政の研究者なら、工学専攻も歴史学専攻も社会学、法律学専攻の人も読まなくてはならなくなる本である。河川官僚、コンサル、水道事業関係者はもちろん、農業用水、工業用水、自治体関係者も言うまでもない。
 
むしろ、この本を書いた若者が、今の時代の一面を象徴している気がするので、出版パーティの後、そのことについて聞くことにした。著者、梶原健嗣さん(カジケン)が、お母さんの介護・看病をしながら、時にブログを書き、時に大熊孝新潟大学名誉教授の「これは本にすべきだ」との勧めで、東大大学院時代に2006年12月に仕上げた博士論文を本にする作業をしているのは知っていた。作業を終えてホッとしたのか、初めて介護の大変さを少しばかりメールでよこしてくれた。ちょっと聞いてみると原因不明の病だとのことで大変そうである。紙媒体に売り込む余力がないのでブログでの紹介を許してくれるかと聞いたら、よいという。
 
そこで昨日、3つの質問をした。朝から始まる一日の介護パターン。お母さんの具合。辛い生活からの解決策はあるのか、だ。すると緻密な彼の説明が始まった。本を書いたことがある人なら多分ほとんどがそうだろうが、仕事や家庭や経済状況やら社会的な責任や時間やら色々な「事情」を乗り越えなければ書けるもんじゃない。だから、大変さは想像していたのだが、それを絶していた。
 
一日の介護パターン
「父がまず2時に起きて、ご飯を食べますから、2時半に交代します」と、彼の説明は、お母さんを24時間体制で診るパートナーとしてのお父さんの生活パターンから入る。面食らって、「ん?」とまずこちらの脳みそが止まる。
 
遡って聞けば、お母さんは身体の苦しみと痛みで、晩ご飯を食べるのに夜の8時から12時まで4時間かかり、それから歯を磨いたり着替えをしたり眠る準備にさらに2時間半かかるのだという。
 
そして、朝の2時半にカジケンは介護から開放されるのだ。てっきりそれで眠りについて一日が終わるのかと思い、先回りして「何時に起きるの?」と聞いたら「まだ寝ません」というのでまた脳みそが止まる。「そこから2時間余りが自由時間です。少し前までは、介護終了が4時でそこからが自由時間でした」。
 
つまり、カジケンの一日は、朝2時半から本の執筆、メール、ブログ書きと始まり、時に裁判支援のための頭脳労働を頼まれることもある。うまく終われば朝4時半に終了するが、それ以上は睡眠時間を削ることになる。
 
眠りについて昼12時~13時に起床。お昼ご飯を頬張りながら買い物に行き、帰宅すると父と介護を交代する。
 
お母さんの具合
問題はその「介護」の中身である。お母さんの身体の痛みは腹部のしこりから来る。家族や本人だけではない、医師の触診でもおへその上部にこぶし大のしこりがあることは確かだが、レントゲンにもCTにも、エコー(超音波)にもMRIにも映らない。癌ではない。25~26軒の病院を回ったが原因は不明のまま。
 
しこりと、しこりから来る痛みと発汗が連動しているようで、苦しさに歯を食いしばって耐えるために歯がボロボロになり、発汗量は異常に多く、布団を通り越して畳が腐ったことがあるほどだ。厄介なことに、発汗ができないとしこりが内臓を圧迫するような苦しさで寝ても起きても辛い。かといって汗をかきすぎると消耗する。
 
苦痛の緩和策として、体調と体重にあわせて、父はミシンを踏んで寝間着や下着のサイズをこまめに調整してやるのだという。1日2回の洗濯も父の分担、カジケンは買い物や料理をこなしながら、母のマッサージを分担する。
 
適度に発汗をさせ、2時間に1回、多い日は1日に10回以上の着替えをさせて、小康状態を保つのが、一家の日々の目標だ。睡眠薬を処方されても2.5人分の服用量でひどいときは痛みで5分で目が覚める。服用しても効果が小さいのでその量を減らしてきた。
 
解決策はあるのか
開腹手術でそのしこりを切除してもらうわけにいかないのかと乱暴な質問をしてみたが、医師はそういう判断をしないのだと言う。体力ももたないだろうと息子カジケンとしては考えている。暑さも寒さも自分では分からなくなっている母の様子を見ながら適度な発汗と着替えを繰り返して痛みを抑え、苦しみ始めたらそのしこり周辺をマッサージして痛みを抑えてやることで凌いでいる。
 
本人も目が見えなくなる
これは、彼が博論を仕上げた2006年12月に思い描いていたこととは違う。知人の弁護士に声をかけられ、研究ではなく、法曹の道に進もうと考えていた。司法試験を目指し始めたのは翌年の2007年1月。ところがわずが2カ月の2007年3月に、突然、目が見えなくなった。眼科に行っても理由は分からず、脳神経外科、心療内科を回った。
 
ひょんなことから名医に会う縁を得て、重症な「眼筋疲労」だと分かった。以後、自分でツボにお灸をすえて、目が見える時間を1日何時間か確保する術を身につけた。
 
だましだまし目を使い、司法試験の準備を開始するが、1年経ったところで母の介護が始まった。2008年9月になると母は重症化する。自分の目のケアも含めて朝2時間の自由時間で準備を重ね、司法試験に励んだ。2度目の司法試験ではあと1点のところで不合格となる。3度目のチャレンジを前に、試験問題60問の最初の1問3行すら読み通せない視力の悪化ぶりを直視して彼は司法試験を断念する。
 
「眼筋疲労」と分かってから2年半。注射による治療で少しづつ良くなってはいるが完治の日がいつなのかは分からない。
 
2006年12年の博論完成から7年。『戦後河川行政とダム開発』は完成した。副題『利根川水系における治水・利水の構造転換』は、介護の合間にお母さんと交わした会話の中で生まれたという。
 
ひねりなし。緻密。ただただ、記録されなければならない『戦後河川行政とダム開発』のことが書き付けられている。
 
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梶原健嗣著『戦後河川行政とダム開発 利根川水系における治水・利水の構造転換』
2014年6月、ミネルブァ書房より発刊。

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コメント

うわ、カジケンさん、ごめんなさい。ウチの親が使っていた室内用椅子型トイレ、写メするつもりが出がけにドタドタして撮り忘れました。次に行った時に忘れず送ります。親のところに持って行くつもりのモノも、かえって来て玄関に忘れて行ったことに気づくくらいの、重症な健忘症なので、なんとも情けないことで、申し訳ないですが。

病気であることは明確なのに、医者にも病院にもみてもらえない介護・看病ですので、きれいごとではすまない、人には言えない話もたくさんあります。総じて言うと、お話した内容は、母の調子がいい日の介護。介護だけですむ日(看病がない日)の話です。

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