334.赤倉温泉の未来 水辺のメリットと浸水のデメリット
往き帰り、夜行バスに乗って山形県の赤倉温泉に行ってきた。
泊まったのは最上荘。部屋の窓から見えるのはこんな風景だ。
最上小国川がすぐ目の前で、せせらぎの音がいい感じである。
泳げないほどの「瀬」にあたり、蛇行の外側にある。
お湯は無臭無色だけどたっぷりかけ流し。
とても優しいお湯で、湯加減もちょうどいい。
朝風呂も浴びて気づいたけれど、
短時間しか入らなくても身体がポカポカするお湯だ。
朝食のとき、「お仕事たいへんですね」とお声がけくださったので、
「最上小国川ダムの取材で来たんです」とお伝えして
ここは、洪水被害にあったことはありますかと聞いたら
30年前ぐらいに1度だけ床下浸水したことがあるという。
この最上荘は宮城県在住のオーナーにより昭和30年代に創設された。
赤倉温泉の中では、一番上流側の地区にあり、その地区では最も古いが、
それでも老舗地区の人から見れば、「新しい」温泉の部類となる。
水辺にあるメリットと、創業以来一度だけ床下浸水という折り合いの中で
今でもここに建っている。
水辺のメリットと洪水との折り合いは、老舗旅館もまた同じ。
川縁を歩けば、老舗旅館が、まるで競うように、橋よりも川中にせり出して
水位が高まるような狭窄部を両岸から、自ら、作ってしまったことが見てとれる。
人間が川との距離感を間違ってしまったのだ。
ゆったりとした河原に、ゆったりと距離を取って建てれば
そもそも浸水は受忍できる頻度と程度であったのではないか。
その数軒の老舗旅館のうちの一つ、あべ旅館は倒産し、
現在も買い手がつかない状態にある。
上の写真の左岸一番奥に見える、
屋根が薄ブルーの一番大きな建物がそれだ。
このあべ旅館は、宮城県の遠洋漁業から帰ってきた漁師さんたちが
家族ずれで1カ月ほど長期滞在する宿だったという。
こうした岩肌からしみ出す河原の上にそれを囲い込んで作った老舗の温泉宿は、
洪水が起きると、当然ながら、かつての河原でしかない岩風呂が浸かる。
それが浸からないようにする。
それが「20年も30年も前に」(地元の人の感覚)持ち出された
この上流の山の中に計画された最上小国川ダムの建設理由である。
上の写真を撮った場所にはかつてもう一軒の温泉宿が建っていた。
逆に老舗旅館地区から上の写真を撮った場所(下の写真)を見ると、
そこが蛇行の内側で「瀬」をなしている場所だと分かる。
(写り込んでいる人々は集会「最上川小国川の真の治水を求めて」の参加者。
写真の一番奥の右側に最上荘が見える。)
水辺のメリットと浸水のデメリットの「折り合い」が、
ダムという「技術」の押しつけ(メリットだけのプロパガンダ)に
とって変わろうとしている。
デメリットはアユやヤマメ・イワナや
それを支える小さな生物たちの住処を永続的に汚すことであり、
やがてその恵みを獲りに来る人たちがいなくなれば、
その影響を受けるのはそこに暮らす人々でもあるのだが・・・。
時代は変わったことを肌身で感じている人ほど、そのデメリットを
大したことがないことだと感じているようなのだ。
その前日に行った新庄市立図書館においてあった「中央公論」
2014年6月号(5月10日発売)の
「緊急特集 消滅する市町村523」で見ると
この最上町は2010年と比べ2040年には若年女性の数が約7割減少する。
一方で、ダムを作らせて自滅する温泉街よりも
狭窄部からセットバックして美しい温泉街に生まれ変わる方がいいのではないか
そんなことを考え始めた世代もいると聞いた。
地域が今、何をしなければならないのか、
高度成長の時代を謳歌した世代が
未来世代の可能性を奪うことがないように。
それだけを願う。日本各地で抱えている問題だと
都会から言うのはたやすいが、
そこに住まう人々が心から望まない限りは、
諦めた現実だけが、そこに現出することになる。
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コメント
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大島様 貴重な情報をありがとうございます。
人と海が接する干潟は、ある意味、人間の言葉で言えば「防災施設」でもあるんだな、ということを、先日の環境女子会☆でも学習しました。環境と防災は、自然の地形を活かすことによって両立させることができる。
川については、田中正造さんが「治水天然」、自然のままの地形で流すことがすなわち「治水」であると考えていたのだと、以下の講演会(終わり10分ぐらいのところ)で菅井益郎先生が語っておられました。
> 講演会 「田中正造に学ぶ 原発・八ッ場ダム問題」菅井益郎先生
> https://www.youtube.com/watch?v=QlmQtnYEuG4
福島原発も同じです。高い岸壁を切り崩して建てていなければ、今ほどのシビアアクシデントには至らなかったかもしれません。
投稿: まさの | 2014年5月21日 (水) 12時47分
洪水から身を守るために一歩下がる、という発想は鹿児島大学の佐藤正典先生のブックレットにもあります。
「海をよみがえらせる」65ページ、干潟を生かした町づくり:韓国順天湾から。
海岸に巨大なコンクリートの堤防を作ることが当たり前の日本。韓国では干潟とヨシの群落が緩衝地帯を作っています。そして干潟に生きる生物と渡り鳥が年間300万人の観光客を呼んでいます。
投稿: 大島弘三 | 2014年5月20日 (火) 19時25分