337.大飯原発運転差止請求事件判決要旨全文を読む
大飯原発運転差止請求事件判決要旨全文を読んだ。
http://www.news-pj.net/diary/1001
「四大公害病」を書いて以来初めて、美しい判決文に接することができて心が震えた。判決に忠実に、箇条書きで要約した(「 」内は要旨のままの引用。太字は筆者。忙しい方は太字だけでもお読み下さい。)。
判決(要旨)は、
原子力発電を「ひとたび深刻な事故が起これば多くの人の生命、身体やその生活基盤に重大な被害を及ぼす事業」と言い表して、「はじめに」で、この訴訟における裁判官としての考え方を明確に明らかにした。
○この事業に関わる組織には高度の信頼性が求められる。
○人格権は憲法上の権利であり(13条、25条)、我が国の法制下においてはこれを超える価値を他に見出すことはできない。
○人格権の根幹部分に対する具体的侵害のおそれがあるときは、人格権そのものに基づいて侵害行為の差止めを請求できる。
次に、「福島原発事故について」として、原告と認める範囲を導き出している。
○原子力委員会委員長(事故当時)が福島第一原発から250キロメートル圏内に居住する住民に避難を勧告する可能性を検討した。
○チェルノブイリ事故によって、ウクライナ共和国とベラルーシ共和国が、今なお広範囲にわたって避難区域を定めており、避難区域は最小限のもので足りるとする見解は疑問である。
○250キロメートルという数字が過大であると判断することはできない。
次に、原子力発電所に求められるべき安全性については、二段階で導き出している。
(1)安全性と信頼性は極めて高度なものでなければならず、万一の場合にも放射性物質の危険から国民を守るべく万全の措置がとられなければならない。
大きな自然災害や戦争以外で、この根源的な権利が極めて広汎に奪われるという事態を招く可能性があるのは原子力発電所の事故のほかは想定し難い。
その存在自体が憲法上容認できないというのが極論にすぎるとしても、少なくともかような事態を招く具体的危険性が万が一でもあれば、その差止めが認められるのは当然である。
そして、この裁判の肝はここだ。
(2)「上記のように人格権の我が国の法制における地位や条理等によって導かれるものであって、原子炉規制法をはじめとする行政法規の在り方、内容によって左右されるものではない。したがって、改正原子炉規制法に基づく新規制基準が原子力発電所の安全性に関わる問題のうちいくつかを電力会社の自主的判断に委ねていたとしても、その事項についても裁判所の判断が及ぼされるべきであるし、新規制基準の対象となっている事項に関しても新規制基準への適合性や原子力規制委員会による新規制基準への適合性の審査の適否という観点からではなく、(1)の理に基づく裁判所の判断が及ぼされるべきこととなる。」
つまり、「ひとたび深刻な事故が起これば多くの人の生命、身体やその生活基盤に重大な被害を及ぼす事業」は、原子炉規制法や、その基準やそれに基づく電力会社の自主判断、さらには原子力規制委員会による新規制基準への適合性の審査の適否ではなく、裁判所が憲法に基づいて判断をするのであると、述べている。
このように裁判所としての考え方をこれ以上になく、厳格に明らかにした上で、
○「原子力発電所の特性」とは「原子炉の冷却を継続しなければならず、その間に何時間か電源が失われるだけで事故につながり、いったん発生した事故は時の経過に従って拡大して行く」ものだと判示。
そして、被告の主張に沿って、一つひとつ判断を加えていく。
○大飯原発には「冷却機能の維持」に欠陥がある。なぜなら「1260ガルを超える地震によってこのシステムは崩壊し、非常用設備ないし予備的手段による補完もほぼ不可能となり、メルトダウンに結びつく。この規模の地震が起きた場合には打つべき有効な手段がほとんどないことは被告において自認している」
○大飯原発には1260ガルを超える地震は来ないとの確実な科学的根拠に基づく想定は本来的に不可能である。
○「閉じ込めるという構造」については、「核燃料部分は堅固な構造をもつ原子炉格納容器の中に存する。他方、使用済み核燃料は」「使用済み核燃料プールから放射性物質が漏れたときこれが原子力発電所敷地外部に放出されることを防御する原子炉格納容器のような堅固な設備は存在しない。」
「以上にみたように、国民の生存を基礎とする人格権を放射性物質の危険から守るという観点からみると、本件原発に係る安全技術及び設備は、万全ではないのではないかという疑いが残るというにとどまらず、むしろ、確たる根拠のない楽観的な見通しのもとに初めて成り立ち得る脆弱なものであると認めざるを得ない。」
一方で、被告(関西電力)の主張については
「被告は本件原発の稼動が電力供給の安定性、コストの低減につながると主張するが、当裁判所は、極めて多数の人の生存そのものに関わる権利と電気代の高い低いの問題等とを並べて論じるような議論に加わったり、その議論の当否を判断すること自体、法的には許されないことであると考えている。このコストの問題に関連して国富の流出や喪失の議論があるが、たとえ本件原発の運転停止によって多額の貿易赤字が出るとしても、これを国富の流出や喪失というべきではなく、豊かな国土とそこに国民が根を下ろして生活していることが国富であり、これを取り戻すことができなくなることが国富の喪失であると当裁判所は考えている。
また、被告は、原子力発電所の稼動がCO2排出削減に資するもので環境面で優れている旨主張するが、原子力発電所でひとたび深刻事故が起こった場合の環境汚染はすさまじいものであって、福島原発事故は我が国始まって以来最大の公害、環境汚染であることに照らすと、環境問題を原子力発電所の運転継続の根拠とすることは甚だしい筋違いである。」
と、経済を国民の命の上に置こうとした被告を激しく断罪している。
そして結論、
「以上の次第であり、原告らのうち、大飯原発から250キロメートル圏内に居住する者は、本件原発の運転によって直接的にその人格権が侵害される具体的な危険があると認められるから、これらの原告らの請求を認容すべきである。」
福井地方裁判所民事第2部
裁判長裁判官 樋口英明
裁判官 石田明彦
裁判官 三宅由子
これら3名の裁判官による判決は、国民がこの3年間に心の中で思っていた生存のための本能的な権利意識とでもいうべきものを代弁してくれたと思う。ただただ、この訴訟を提起した原告の方、弁護士の方、裁判官に感謝したい。
∞ ∞ ∞
余談だが、要旨全文を読んだのは、現在書いている記事に密接にかかわるからだ。2月下旬、東京電力でフリーランス記者間のくじ引きで山本宗補カメラマンと私の2人が当たりくじを引き当て、東電福島第一原発に入った。そのときに見た光景に衝撃を受けて、改めて、なぜ、すべての外部電源が失われたのかを掘った。
今まで行われてきた「検証」では何が起きていたのかという「現象」の説明しか行われていなかった。そこで、奇跡と偶然の重なりでその根本原因に行き当たった(「東電福島原発事故「全」外部電源喪失の謎 海鵜と地質学者の教えを無視した豊田元副社長 『週刊金曜日』(2014年5月16日/991号)」。現在は、その後編として、それを踏まえて、その教訓がどう活かされているのかを種々の取材の合間に追っている。原発事故は絶対に二度と起こしてはならないからだ。そんなときに、この判決が出た。
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