328.沖縄の「屈辱の日」 サンフランシスコ講和条約発効
日本は1952年4月28日を境に「独立」した。
今日4月28日は、その日、サンフランシスコ平和条約発効の日だ。
本土では「主権回復」の日となったが、沖縄では「屈辱の日」となった。
こんなことも何故か、大人になって初めて知った。
「第一条に日本国の主権回復が書いてある。
第二条に朝鮮や台湾など日本の主権が及ばないところはどこかが書いてある。
第三条に沖縄のことが書いてある。
第三条には、日本国は沖縄を「合衆国を唯一の施政権者とする信託統治制度の下におくこととする」と書かれていた。」
2014年4月26日、法政大学キャンパスで開催されたシンポジウム「沖縄の問いにどう応えるか-北東アジアの平和と普天間・辺野古問題」で、我部政明・琉球大学教授はそう語った。
広島・長崎の被災に関する報道管制が解かれた1952年4月28日 は、沖縄にとっては、屈辱の日となった。
それからさらに20年、1972年に沖縄返還協定によって、沖縄は日本に「返還」されたはずだったが、それは「沖縄から見れば、平和憲法への復帰のはずが安保体制への「復帰」だったんですね」(大江健三郎さん、同シンポジウムで)。
1971年11月、琉球政府は日本政府に「復帰措置に関する建議書」を持っていった。
しかし、「もはや日本政府を相手にすることは無理ではないか」(島袋純・琉球大学教授、同シンポジウムで)とさえ、思われている。
2013年1月、「平成の沖縄一揆」とでも言うように、沖縄県全41市町村の議長は上京し、普天間基地の閉鎖・撤去、辺野古への移設断念、オスプレイの配備計画の撤廃を求める建白書を安倍首相に提出した。
沖縄の新聞にはその全文 が掲載されたが、本土の人間はそれを読んだだろうか。
その時、4000人の集会を行い銀座を歩いたが、「中国に帰れと罵られた」(「沖縄の海兵隊基地建設にむけての合意への非難声明」2014年1月7日に29人の海外識者と発表したガバン・マコーマック・オーストラリア国立大学名誉教授、同シンポジウムで)
日本政府は、この40年間で10兆円という数多くのアメ(振興策)を与える代わりに、安全保障(米軍基地)の負担(ムチ)を日本人口の1%に満たない沖縄に当ててきた。
「沖縄振興に関する特別措置法を調べたらアルアル。名護市長選のときに新聞に安倍首相の名前入りで、再編交付金261億円、振興基金構想に500億円、合計760億円の財源があると全面広告を打った。中学生に言ったら「賄賂じゃないか」とうまいことを言う」(川瀬光義・京都府立大教授、同シンポジウムで)
「今回、オバマ来日による日米共同声明で、尖閣諸島を日米安保第5条とした。尖閣諸島で何かあれば海兵隊が辺野古基地から飛んでいくような印象を与えているが、第5条の適用地域になったからといって飛んでいけませんよ。5条には自国の憲法の手続に従ってと書いてある。オバマ大統領は各国からの賛同が得られずに米議会に聞いてシリア空爆を断念した。米国経済を考えれば、今、中国とだって戦争なんかできませんよ。日本もできませんよ。戦争起きれば沖縄の観光はゼロ、宮古島や八重山から人々を待避させなければならない。中国市場を失って日本の経済はどうなるのか。」(佐藤学・沖縄国際大学教授、同シンポジウムで)
本土では「主権回復」の日となったが、沖縄では「屈辱の日」となった。祝賀などやめてくれと沖縄が叫んでも、日本政府はその声にはそっちのけでこの日を祝ってきた。
少数派であるこの沖縄の声を40年に渡って聴いて来なかったことは、そのまま本土における日本の隅々で「強制収用」によって理不尽かつ不合理な公共事業が進められていることにもつながっている。そう思わずにいられなかった。
少数の権力者に白紙委任することが民主主義なのではない。少数の意見を少数の権力者が踏みにじることを許すのが民主主義なのではない。当事者意識を全員がもって国を動かす意志をと自由を持つことが私たちが今、改めて求められていることだ。
参考とオススメ
■日米安保第五条
各締約国は、日本国の施政の下にある領域における、いずれか一方に対する武力攻撃が、自国の平和及び安全を危うくするものであることを認め、自国の憲法上の規定及び手続に従つて共通の危険に対処するように行動することを宣言する。(後略) http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/usa/hosho/jyoyaku.html
■サンフランシスコ平和条約(東京大学東洋文化研究所 田中明彦研究室へリンク)
■外務省は条文を掲載していない。
■2013年1月28日 沖縄県の全市町村の議長が安部晋三内閣総理大臣にオスプレイの配備計画の撤廃、米軍普天間基地を閉鎖・撤去、県内移設を断念を訴えた建白書全文
■2014 年1 月8日 オリバー・ストーン氏、マイケル・ムーア氏ら海外識者29名が「沖縄の海兵隊基地建設にむけての合意への非難声明」
「(略)辺野古に基地を作る計画は1960年代からありました。それが1996年に掘り起こされ、前年に起こった少女暴行事件もあり当時沖縄で最高潮に達していた反米軍基地感情を鎮めるために、日米政府は、宜野湾市の真ん中にある普天間基地を閉鎖して、辺野古の新基地にその機能を移転させようと計画しました。(略)」
■2014年1月17日米戦略国際問題研究所(CSIS)のジョン・ハムレ所長「沖縄は平和な世界を構築するため価値ある貢献ができる。沖縄の未来は県民が自主的に決めるべきだ」
■佐藤 学 (沖縄国際大学)「オスプレイは尖閣には飛べない──追加配備の虚妄と日米関係」(岩波書店世界2013年10月号)
■「普天間基地問題から何が見えてきたか」(岩波書店2010年)
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