323.東京地裁民事38部 スーパー堤防裁判
2014年4月18日11時、東京地裁803号法廷。スーパー堤防を巡る新たな裁判が始まった。
中身は地味でシンプル。原告は高橋新一さん他4名。被告はスーパー堤防計画地の上で区画整理事業を進める江戸川区。裁くのは谷口豊裁判長、横田典子裁判官、下和弘裁判官の3人。被告である江戸川区が、土地区画整理事業による「仮換地」という後戻りのきかない手続きの後で、事業計画の変更手続きを始めたことを、違法であるとして仮換地の取消を地権者が訴えた。
少しだけ詳しく言うと次のようなことだ。
江戸川区は区が主体となってスーパー堤防の上で土地区画整理事業を行おうとした。いったんスーパー堤防が廃止とされたときも、江戸川区は「盛土をする土地区画整理事業」だとして継続を決めた。
そしてその延長線上で昨年、江戸川区は土地区画整理法に基づいて「仮換地」を進めた。
仮換地というのは、土地区画整理事業の要ともいうべき手続だ。地権者がいったん移転した後、区画整理後に戻る場所を決める手続だ。
その後、「引っ越しをしたくない、このまま住み続けたい」という住民も含めて、全世帯に建物を取り壊して出ていけという意味の「除却」を求めた。渋々賛成した人はおとなしくこの求めに応じて取り壊しと引っ越しを開始した。出てまた戻ってくるという二度の引っ越しを嫌う人は住んでいた土地を区に売って永遠に出て行った。
驚愕するのはその後だ。今年1月、「あ、そういえば」と思い出したようなタイミングになって江戸川区は土地区画整理法に基づく事業計画変更の手続を開始した。
「そういえばですね、事業者が、これまで江戸川区単独でやってきましたけど、昨年5月に国と一緒に進めることにしたんです。その中身を公開しますから、読んでご意見をください」
簡単に言えばそういうことだ。法手続きとして初めて、江戸川区が単独で進める「盛土をする土地区画整理事業」から、国と江戸川区が共同で実施する「スーパー堤防上の土地区画整理事業」へと変更したいと思うがどう思うかと、住民を始めとする関係者に尋ねたのだ。
大半の人が家を壊して出て行った後だ。その後でどう思うかと聞かれても困るタイミングだ。
なんてこった!とこの事実を知ってすぐ、江戸川区役所の担当者に聞きに行った。なぜこんなタイミングにしたのか? すると、何も突然変更すると言ったのではありません。国との共同実施することは昨年5月からご説明していましたと言う。
区が「ご説明」することと、法律に基づいて関係者が「意見を提出できる」のとは大きな違いがあることにまるで思いが至っていない。
住民の暮らしに大きな影響を与える手続なので、意見が出た場合は、それを都の都市計画審議会にかけることを法律が求めている。その重要な手続もこれからだ。この手続がこれから行われるというのにもかかわらず、もう大半の家は取り壊されているのだ。
昨日(4月18日)の第一回の口頭弁論では、納得がいかないとして残って住み続けている反対地権者が、スーパー堤防との共同実施事業となれば、「盛土をする土地区画整理事業」と見かけ上は同じでも、河川法の指定を受けて権利制限を受ける。それなのにこの計画変更手続をしないで仮換地を行ったのは違法だと訴えた。
法律がありそれを執行する行政がある。行き過ぎた権力の行使を民主的な手続によって防ぐために縦覧、意見提出、審議会の手続がある。ところが、被告である江戸川区は、それをすっ飛ばして、「仮換地」「除却」「直接施行」(自分で取り壊さないなら行政が強制的に取り壊す手続)へと進んできたし、進もうとしている。これを違法であると訴えている。
閉廷後、「これで原告が勝訴できなければ、もう日本の民主主義はない」と感想を述べた支援者がいた。
こと「公共事業」では、意見を「聞き置く」形骸化した「参加手続」が当たり前になっている。しかし、今回は、形骸化を遥かに超越して、実質的な事業を進めながら「聞いたところでどうしようもない」、形式すら崩れたタイミングで手続を開始した。このような「参加手続」を合法であると認める判断が許されるわけがない。
今回原告となった地権者の方々は、周囲の家が取り壊された荒涼とした区画整理事業予定地に取り残されたように暮らしている。私なら諦めて出ていってしまいたくなるだろう。反対地権者がそうしないのはこの事業によって次に苦しめられる人がいないようにしたいという思いからだ。そういう思いまでが裁判官に届いて欲しい。
開廷の一時間前に裁判所に到着し、撮影の許可を求めようとしたが、「最低でも1週間前に求めよ」と言われたので、今回は仕方がなく裁判官3人が並んだところを描いてみた(うーむ、3歳児も顔負けだろう)。
左から横田典子裁判官、谷口豊裁判長、下和弘裁判官。
次の期日が2014年6月20(金)13:30~ 803号法廷 と決まったので、その足で総務課に行き、「撮影および録音の許可願い」を東京地裁と裁判長宛に出して帰ってきた(正確に言うと手書きでノートに書いてビリッと破り出しにいったのだが、「これはちょっと」と言われ、「ですか。やっぱり?」と帰宅ししてパソコンで青書してFAXした。)
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