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2014年3月

2014年3月30日 (日)

322.死んでいた霞ヶ浦導水路事業

2014年3月28日、霞ヶ浦導水事業の検証に係る検討の場が開かれた。
「幹事会」の名で地方公共団体の官僚主導による見直しの末、たった一回、関係地方公共団体のうち、その事業が位置する茨城県の知事だけが出席した場で事業継続が決まった。

報告書はここです。重いです。

以下はその内容をツイートしたものです。時間との兼ね合いでそのままかいつまみます。

●一仕事終えて遅れて到着したら霞ヶ浦導水事業、検討の場が終わっていた。た
った40分で終了。傍聴者に聞くと関係知事のうち、参加したのは茨城県知事だけ。
pic.twitter.com/Qv71TsbEuR

●2キロぐらいありそうな分厚い資料。
pic.twitter.com/Xg4QRwCpsv

●利根川流域1都5県、人口はまだ少し増えているけど、産業人口はもう10年ぐら
い前から減っていたんですね。
pic.twitter.com/DjtLz03eVt

●霞ヶ浦導水事業。こんなふうに那珂川と利根川を霞ヶ浦を通じてつないで、水
を融通しあうという計画。昭和45年から予備調査開始。昭和59年に事業着手。誰
が本気で必要としているのでしょうか。
pic.twitter.com/ctkGucjGzc

●霞ヶ浦導水事業。水質浄化のためだとして、現計画以外に280技術プラスαの代
替案を検討したというが、資料がケシ粒のように小さくて読めないよ。
pic.twitter.com/p7q4Kd53KQ

●霞ヶ浦導水事業資料。注意深く見ないと見落とすけれど、緑の棒グラフ(確保
できている水を取る権利)上にある青い点(私の指あたり)が1日最大の水の給水
の実績。右端のグレーが、霞ヶ浦導水で確保される水。これ、要りますかと言う
話です。
pic.twitter.com/2EtTY6GzQa

●一見、霞ヶ浦導水事業と八ッ場ダムが要るように見えるグラフ。でもよく見ると使えている豊富な地下水を放棄し、融通して使えている水(暫定水利権)を使わなくするペーパーワークの世界。青い点は「平均」ではなく「最大」の給水実績です。 pic.twitter.com/9folcvyuVj

●霞ヶ浦導水事業の利水分の代替案その1、静岡県の「富士川」から神奈川、東京、
千葉を乗り越えて導水する。
pic.twitter.com/Y652BmHosp

●霞ヶ浦導水事業の利水分の代替案その2.長野県の千曲川から導水する。これら
と比較して霞ヶ浦導水の実現性が高いとか、コストが低いから、だから「霞ヶ浦
導水事業」が妥当と言うのが今日の検討会の判断。
pic.twitter.com/EmVyFQ5QM0

●こんな霞ヶ浦導水事業を「妥当」とする判断に加担した肩書きのみの名前を明
らかにしない政治家および都県幹部。
pic.twitter.com/o9lbziQ7VV

●会議が短時間で終わったのはそれがセレモニーだったからだと、傍聴した嶋津
暉之さんが感想を語っている。
→3/27「霞ヶ浦導水事業の検証に係る検討の場」は形ばかりで「事業継続」の結論ありき 
http://yambasaitama.blog38.fc2.com/blog-entry-2805.html

2014年3月26日 (水)

321.社会的な動物であるヒトへの影響

1970年に米国で誕生して以来、世界に広がった制度に環境アセスメントがある。日本でそれが法律として成立したのは1997年で27年遅れだった。

その間、産業界の反対で、1972年に「閣議了解」、1984年に「閣議アセス」という中途半端な形で始まった。20年余を隔てて法律になったものの、骨格は閣議アセスと言われるものとさほど変わっていなかった。大げさに言えば、考え方は1970年代にとどまったまま、進化をあまり遂げずに、それが現在も踏襲されている。

一方で、環境アセスメント制度を盛り込んだ米国の国家環境政策法は、当初、環境アセスメント自体は数ページの報告書をイメージしていたと言われるほどで、全体像のごく一部だ。この法律が機能する様々な規制法が編み込まれ、手続法ではありながら組み合わせにより、結果的に規制力を持ちえる。そして、この法律が求めていることが遵守されているかを監視する機関が内外にある。大統領府には環境諮問委員会(CEQ)があり、個々の連邦機関には総括監察官がおかれ、国家環境政策法の目指すところが守られているかどうかを見張っている。環境アセスメントはいわば住民などステークホルダー(利害関係者)を直接、巻き込んだ監視メカニズムの一つに過ぎない。

その上でさらに司法がある。結果として、1970年に制度が成立してから現在までに重なった判決を反映した運用規則をCEQが作って、進化してきた。それでもまだ不十分だとの批判は米国国内でもある。

こうした制度研究は日本で行われてこなかったわけではないが、比喩的に言えば、大学の研究室や重たく分厚い本の中に閉じ込められたまま、社会にはうまく説明されてきてこなかった。また研究されていたとしても、ある研究者はCEQがどう機能しているのか、ある研究者は影響を回避、低減、代償させるためのメカニズムを、ある研究者は参加の仕組みを、ある研究者は司法制度の仕組みをと、パーツパーツで細分化されていた。

当然、そのパーツのまま日本に持ってきても組み込めない。しかし、組み込むことが可能な機能までが抜け落ち、紹介も研究も十分になされなかったものもある。

昨日はその辺の前提をすっ飛ばして、「スーパー堤防」という具体的な事業から、何が抜けているのかを実感してもらいたいと考えた。とくに強調したかったのが、いままでさほど研究された形跡もない「社会影響評価」だ。人間が生物として受ける影響(大気や水質や騒音など)だけではなく、人が人として、社会的な動物として受ける影響を見極めて、回避する仕組みだ。米国では国家環境政策法成立以来、20年余をかけて深化させてきた。

日本では、環境アセスとは、自然環境のことだけを見る制度だと考えている人が大半だ。「社会的な動物であるヒトへの影響」への認識を少しづつジワジワと広めていければ、と思う。いまさら遅いとは言え、変化を求めていかなければ、1970年代感覚の日本を未来世代にまで手渡すことになってしまう。

環境女子会☆勉強会では、後半は少人数に分かれて、参加者同士がざっくばらんなお話をする時間を設けている。そこで感想や意見を言い合い、最後に全体でそれをかいつまんで共有する。

次のような感想や素朴な疑問が共有してくれた。

・開発を行って行く上で、人口が減少していく中、30年度、50年後にそれが持続できるのかという視点を入れた持続可能性アセスメントが必要なのではないか。

私も同席させてもらったグループには、若手環境省職員が「個人的な感想ですが」と断った上で、環境アセスは環境だけを切り取った制度だが、合意形成を含めた制度であるべきなのではないかと日頃感じながら仕事をしていますと率直に述べてくれた。

試行錯誤中の環境女子会☆勉強会の第二回「日米の環境アセスを比較しよう スーパー堤防事業を事例に考える」の「おさらい編」(振り返り編)を金曜日19:00~行います。いらっしゃれなかったヒト、歓迎します。

金曜日にもいらっしゃれないヒトは、是非、こんな制度が日本のアセスからは抜けているのだと、一覧してみてください。以下は昨日のプレゼン資料や質疑で述べたことのソースです。

■米国の社会影響評価 原則とガイドライン
Principles and guidelines for social impact assessment in the USA 
■社会影響評価のための国際原則
International Principles For Social Impact Assessment 

こんな制度が抜けているために、スーパー堤防予定地で辛い思いをしながら住み続け、その制度のおかしさを訴え続けている世帯があります。その支援者であり代弁者でもある稲宮須美さんが、スーパー堤防とはどのような事業か、どのような懸念が解消されないまま進められているか、お話を聞くこともできます。ブログでも継続的に発信を続けておられるので、こちらでもごらん下さい。

2014年3月22日 (土)

日米アセス対決 ~スーパー堤防事業から考える~

===以下、転載大歓迎です==================
 
環境女子会☆第2回とそのおさらい編のご案内です。
 
第2回        3月25日(火)午後4時~5時半議員会館
第2回(おさらい編)3月28日(金)午後7時~8時半日本自然保護協会
 
 *25日の方には議員と環境省も参加します。
  ご都合のよい方へ是非起こしください。
 
=========================
環境女子☆ための環境法勉強会
第二回  環境影響評価法(環境アセスメント法)
=========================
 
比べてみれば見えてくる?  日米アセス対決
~スーパー堤防事業から日本の環境影響評価法の問題点を考える~
 
環境影響評価法とはその名の通り、どこかに何か大きなものを作るときは、事前
に、そこや周辺の環境にどんな影響が出るのか調べて評価しなればいけませんと
いう法律。なんだか、自然に優しそうな法律ですが、本当にそうでしょうか。
 
お手本になった本家のアメリカでは、 このしくみは「国家環境政策法」の中の一
部で、生物だけでなく、人間社会への影響も考慮されており、対象となる事業も
日本とはちょっと違うようです。
 
今回は、みなさんも一度は聞いたことのある「スーパー堤防事業」を例に、日本
の環境影響評価法は本当に環境に優しいのか考えてみましょう
 
日時:2014年3月25日(火)午後4時~5時半
場所:  衆議院第二議員会館  第二会議室
 最寄駅:永田町・国会議事堂前
 3時半から1階ロビーで入館証をお渡しします。
 
 進行  小川淳也  (衆議院議員)
 環境女子のめざすもの  竹前朝子(日本野鳥の会)
 アセス法改正後の積み残しは何か  環境省
 日米の環境アセスを比較しよう    政野淳子(ジャーナリスト)
 スーパー堤防のお話し  稲宮須美(前江戸川区議会議員)
 討論・法改正に向けて  ~お茶会風に~
 
<環境女子会☆>とは
本連続講座の実行委員会。偶然集まった「あたらしい環境法」に興味をもつ女子
が、立場やしがらみにとらわれにくい女子ならではの講座をコーディネイトした
り、飲み会を開いたり、これからの日本にふさわしい「あたらしい環境法」をつ
くるためのネットワークをつくっちゃおう!と立ちあげた会です。
主  催  環境女子会☆  (お問い合わせ  TE070-6642-9014 西島)
 
★★★★3月28日(金)午後7時~8時半には★★★
日本自然保護協会  会議室(東京都中央区新川 1-16-10 ミトヨビル2F)にて
同テーマで「おさらい編」を開催します。
 
===転載歓迎==========================
 
第2回3月25日(火)チラシ       第2回3月28日(金)のおさらい編チラシ
Photo    Photo_2
第2回3月25日(火)チラシ     第2回3月28日(金)のおさらい編チラシ

2014年3月19日 (水)

320.吉野川河口域保全 保護団体がNEXCOに要望書

長期的な環境影響をもたらす大規模事業の動きが日本全国で活発化している。その一つ、四国の吉野川の河口には既存、新設、計画中の4本の橋(道路)がある。
 
Photo_4 クリックで拡大可
吉野川東京の会作成(写真のうち徳島東環状大橋は完成し、「阿波しらさぎ大橋」と命名された。
 
徳島の5つの自然保護団体が、今年2014年1月15日にNEXCO西日本に対し、「四国横断自動車道吉野川渡河橋に係る要望書」を提出した。複合的な環境影響評価を行ったうえでの、長期的な影響予測、吉野川渡河橋建設の再考を求めている。とりわけ、「国際的に渡り鳥重要渡来地とされている、吉野川河口域の鳥への影響に対しては、科学的なデータに基づいた影響評価および配慮をすべきである」として、慎重に進めて欲しいと要望した。(1)
      
NEXCO西日本は2月28日に回答を寄せ、今年は3年ごとの事業評価年にあたっていること、防災の観点から事業を進めたいこと、河口域の環境保全については平成6年にアセスを実施し、環境保全目標を満足するものとなっていると回答している。(2)
     
 
吉野川河口河保全については、地元自然保護団体から過去にも同様の要望が行われてきた(3)。これらの声がどう反映させるのか、注目したい。
 
(1)四国横断自動車道吉野川渡河橋に係る要望書 2014年1月15日
提出先 西日本高速道路株式会社 代表取締役社長 石塚由成 様
提出者 徳島県自然保護協会 会長 森本康滋
    とくしま自然観察の会 世話人 井口利枝子
    パンダクラブ徳島 会長 今出宗孝
    吉野川ひがたの会 世話人代表 亀倉緑
    吉野川の風景を守る会 代表 河野真理
 
(2)西日本高速道路株式会社からの回答
Nexco1_2 Nexco2 Nexco3
   
(3)過去の取り組み
阿波しらさぎ大橋建設およびモニタリングに関する要望
提出先 徳島県知事 飯泉 嘉門 様
     阿波しらさぎ大橋(東環状大橋)環境アドバイザー委員 各位
提出者 徳島県自然保護協会会 長    森本  康滋
     とくしま自然観察の会世話人    井口利枝子  
 
吉野川河口域保全および四国横断自動車道と阿波しらさぎ大橋に関する要望
提出先 国土交通省 国土交通大臣  前田 武志様
    国土交通省 四国地方整備局長 川﨑 正彦 様
    国土交通省 四国地方整備局 徳島河川国道事務所長 小林 稔 様
提出者 徳島県自然保護協会  会 長    森本  康滋
     とくしま自然観察の会世話人    井口利枝子
 

319.環境女子会☆ 第二回学習会

ギリギリのご案内となってしまいましたが、
以下ご案内です。ご参加、転載、転送、拡散よろしくお願い致します。

環境女子☆のための環境法勉強会

第二回  環境影響評価法(環境アセスメント法)
 比べてみれば見えてくる?  日米アセス対決
 ~スーパー堤防事業から日本の環境影響評価法の問題点を考える~

環境影響評価法とはその名の通り、どこかに何か大きなものを作るときは、事前に、そこや周辺の環境にどんな影響が出るのか調べて評価しなればいけませんという法律。なんだか、自然に優しそうな法律ですが、本当にそうでしょうか。

お手本になった本家のアメリカでは、 このしくみは「国家環境政策法」の中の一部で、生物だけでなく、人間社会への影響も考慮されており、対象となる事業も日本とはちょっと違うようです。

今回は、みなさんも一度は聞いたことのある「スーパー堤防事業」を例に、日本の環境影響評価法は本当に環境に優しいのか考えてみましょう

日時:2014年3月25日(火)午後4時~5時半
場所:  衆議院第二議員会館  第二会議室
最寄駅:永田町・国会議事堂前
プログラム
進行  小川淳也  (衆議院議員)
環境女子のめざすもの  竹前朝子(日本野鳥の会)
アセス法改正後の積み残しは何か  環境省(未定)
日米の環境アセスを比較しよう    政野淳子(ジャーナリスト)
スーパー堤防のお話し  稲宮須美(前江戸川区議会議員)
討論・法改正に向けて  ~お茶会風に~

<環境女子会☆>とは
本連続講座の実行委員会。偶然集まった「あたらしい環境法」に興味をもつ女子が、立場やしがらみにとらわれにくい女子ならではの講座をコーディネイトしたり、飲み会を開いたり、これからの日本にふさわしい「あたらしい環境法」をつくるためのネットワークをつくっちゃおう!と立ちあげた会です。

主  催  環境女子会☆  (お問い合わせ  TE070-6642-9014 西島)

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2014年3月17日 (月)

318.ダム訴訟一覧

八ッ場ダム問題を緻密に追い続けている梶原健嗣さんが、このブログも緻密にみてくださり、「抜け」や「間違い」を発見してくれました。分類も変えた方がよいのではないかと助言を受けましたが本日のところはこれでお許しを。青字が本日(2014年3月18日)の加筆訂正部分です。

===================

先日、「最近は大規模な自然破壊事業はなくなってきた」という発言を環境省の管理職がとある場所で語るのを聞いて、これはまずいと思った。大規模な自然破壊事業は厳然として各地にある。山から海まで流域全体に影響が及ぶダム事業ひとつとっても、各地で訴訟がおき、現在も地裁、高裁、最高裁の判断が求められている。

住民訴訟15

成瀬ダム
最上小国川ダム
八ッ場ダム(6件)
思川開発事業(南摩ダム)
湯西川ダム
浅川ダム

設楽ダム
木曽川導水路事業(08年の完成以来使われいない德山ダムからの導水事業)
安威川ダム
路木ダム(原告勝訴、熊本県控訴中)

差し止め訴訟
霞ヶ浦導水事業(那珂川の取水口建設)(下線2014.3.29加筆)

土地収用法の事業認定取消訴1件

新内海ダム

●その他、現時点で裁判には至っていないが、絶滅危惧種の生息地、アイヌの聖地が予定地にあるものを含めて、住民から反対の声があがっている事業には以下のようなものがある。

サンルダム
平取ダム
川上ダム
平瀬ダム
山鳥坂ダム
立野ダム
石木ダム

最近の大ニュースは「路木ダム」の住民訴訟で、熊本地裁が治水について住民勝訴の判決を出したことだ。これまでにダム事業の住民訴訟で住民側が勝訴したケースは、私の知る限り初めてだと思う(最高裁に尋ねても、「住民訴訟」という区切りでは記録がない)。

判決など、詳しくは水源開発問題全国連絡会が掲載している。
http://suigenren.jp/news/category/daminformation/rogidam/

これまでに住民の勝訴が確定した例としては二風谷ダム永源寺第二ダムがある。

前者は土地収用法に基づく事業認定の取消訴訟で違法とされたが完成した後だったので使ってよろしいとなったが、その後、水余りにより利水負担金を血税で補填、治水に失敗して洪水を起こし、損害賠償請求で再び国は負ける(富川水害訴訟)という情けないその後を辿っている。後者は土地改良法で求められる費用対効果が問題となり住民側が勝ち、建設が中止された。

もうひとつ、ダムに水を貯めている最中に集落の乗った山の斜面が地すべりを起こして移転を余儀なくされた住民への損害賠償を命じた大滝ダム訴訟がある。

さらには川辺川ダムの必要性の根拠となっていた国営川辺川土地改良事業が違法判決を受け、当該自治体の長もまた反対の意思を明確にし、川辺川ダムは事実上、中止となった。

住民が敗訴した例の一つに、長良川河口堰があるが、完成後、環境が悪化して開門が求められてきている。必要性の重要な根拠だった工業用水は現在に至るまで一滴も使っていない。その分は血税が補填している。国は、河口堰を開門ができない理由として塩害が起きるからであると当局は説明してきた。しかし、3月7日に行われた土木学会で、河口堰建設時に一度は取り除いた土砂が再生されていることが報告された。この土砂は塩水が遡上するのを防ぐ役割を果たしていた。詳しくはリバーポリシーネットワークのウェブで。
http://riverpolicynetwork.jimdo.com/%E3%81%8A%E7%9F%A5%E3%82%89%E3%81%9B/

これらのうち、ダム訴訟で環境が扱われたものについて、いずれきちんと整理したい。事態が動き続けている路木ダムについては早急に紹介したい。

2014年3月15日 (土)

317.フリーランス物書きらのコモゴモノの闘い

こちらにそのものを掲載させていただたが、フリーランス連絡会が東電の福島第一原発の現場公開取材に関して申し入れていた件で、回答がきたと、3月14日、フリーランスライターの畠山理仁さんから連絡があった。申し訳ないことに、私は、この日、東電会見に出席しなかった。いただいた緻密な報告をそのまま掲載させていただきます。
 
==============================
畠山理仁です。
本日21時前、フリーランス連絡会の申し入れに対し、
東京電力広報部・沼尻剛氏から電話で回答がありました。
その返答を簡潔に下記の通りまとめました。
なお、沼尻氏との会話については最後に文字起こしをつけておきます。 
 
【申し入れ1についての回答】
→2名が最大の枠。 
 
【申し入れ2についての回答】
→フリーランスの方々のみのご要望にお応えすることは難しい。 
 
【申し入れ3についての回答】
→要望を受け入れる。ムービーでもスチールでもどちらでもよい。ただし1名による撮影とし、同時に2台で撮影することはご遠慮いただきたい。 
 
【申し入れ4についての回答】
→個別取材については、企画書を提出していただき、取材の趣旨、内容等をうかがった上で個別に判断するという形になる。 
 
●東京電力広報部・沼尻剛氏との会話(2014年3月14日・20時11分頃〜) 
 
【回答に至るまでの経緯】
◎3月4日13時すぎ。畠山より東京電力広報部に電話(沼尻剛氏)した後に申入書をファクシミリで送信。送信後、到着していることを電話で確認。「3月14日までの回答」を依頼。
◎3月14日17時41分に東電から携帯電話に着信(畠山は取材中のため出られず)。
◎同日17時42分に東電から着信。この際、留守番電話に「申し入れの回答について連絡しました。また連絡します」旨のメッセージが沼尻氏より残される。
◎同日18時22分。留守番電話のメッセージを聞いた畠山が東京電力に折り返し電話。しかし交換時間外のため通話できず。
◎同日18時24分。交換時間外だったため、東電警備室に連絡。広報部につないでほしい旨を伝えると「広報から連絡させる」と返答。
◎同日18時37分。東京電力広報部の沼尻氏ではない男性(畠山は新幹線で移動中だったため名前を聞き取れず)から電話。「電話をいただいたので折り返しました」とのことだったので「フリーランス連絡会の申し入れの件で沼尻氏から連絡をもらいたい」旨を伝える。広報部の男性は「調べて後ほど電話をします」と返答。
◎同日19時52分。東京電力広報部沼尻氏より留守番電話(畠山はトンネル連続する区間通過中のため圏外で着信音ならず)に「申し入れの回答について連絡しました。また連絡します」とのメッセージが残される。
◎同20時11分。沼尻氏より着信。口頭にて回答を得た。 
 
以下、会話の記録。 
 
沼尻「東京電力広報部の沼尻と申します」
畠山「お世話になります」
沼尻「今お時間大丈夫ですか? すみませんちょっと外出していまして」
畠山「いえいえ」
沼尻「いただきました申し入れに関しまして、ご回答の方になるのですが。まず、『フリーランス枠2名を4名にする』というところなんですが、えーと、まず、限られた人数の中で、社会に対して広く情報を発信することは重要である、と考えておりまして、現場公開等などについても継続して検討してきておりまして、その結果、現状の人数となっております。なので現場作業の影響等もありまして、対象メディアや人数等については、制約が出てくることはご理解いただきたい」
畠山「ということは、結論から言うと『2名が最大』ということですか?」
沼尻「そうですね」
畠山「これがまず一番目」
沼尻「まず一番目」
畠山「はい」
沼尻「はい。次に『カメラの持ち込みの許可を全員としていただきたい』ところにつきましても、こちらも限られた時間で最大限の情報公開を行いたいと考えておりまして、持ち込んだ機器の養生とかですね、サーベイとか、汚染した場合の除染等にかかる時間もありますから。
 核物質防護に関する法令に基づいて、発電所構内での撮影を一部制限させていただいておりまして。当社の担当者を追加で同行させなければならないので、対応に限りがあります。
 なので新聞とかテレビメディア等の方も代表カメラとして数を制限させていただいておりますので、フリーランスの方々のみのご要望にお応えするということはちょっと難しいと」
畠山「代表というか、各社一名カメラが入っていますよね?」
沼尻「場合によって一名にするとかですね、そういうこともしておりまして。まあ、そういう他のところももうちょっと増やしてくれとかですね、いろいろご要望とかもある中で、まぁ、フリーランスの方々のみのご要望にお応えするというのはちょっとは難しいと」
畠山「まあ、お話はうかがいます」
沼尻「はい。次にいただきました、『カメラはスチール/ムービーのどちらでもよくして入りたい』と。
畠山「3番ですね」
沼尻「ということにつきましては、こちらの方はご要望を受け入れさせていただきまして、ムービーでもどちらでもよいということにさせていただきます」
畠山「その際は、たとえば、今までも予備のカメラということで一人で2台持って入るということが可能だったと思うんですが」
沼尻「はい」
畠山「あらかじめカメラの機種の型番とかを提出していたと思うんですが」
沼尻「はい」
畠山「提出しておけば予備のカメラとして例えばムービーカメラとスチールカメラを持ち込んでも大丈夫ということですか」
沼尻「はい。大丈夫です」
畠山「ムービーもカメラもと」
沼尻「ムービーも入れてもいいですし、スチールを入れて、まあ、一人でこのスチールとムービーどちらを持ってきていただいても大丈夫です」
畠山「なるほど。はい」
沼尻「で、えーと、そこでなんですけれど、スチールとムービーどちら、両方持ち込んでいただいてもいいんですが、両方とも同時に撮影するということはご遠慮いただきたいと」
畠山「一人の人間が両方っていうことですか」
沼尻「そうですそうですそうです。一人の人間で、こちら、当社の方の担当者をカメラ一台につき一名同行させるというところがありますので、両方とも、右手で持って左手でカメラを撮ったりとか、どっちもということになると、それで2名必要になるので。そこは同時に撮るということはご遠慮いただければ、両方とも持って行っていただいて撮っていただいても大丈夫です」
畠山「はい」
沼尻「えー、最後四番なんですが、こちらにつきましては、えー、まず、現場公開につきましては、一度に多くの報道陣関係者の皆様に、福島第一原子力発電所をご覧いただける視察会を基本の柱として利用させていただきます」
畠山「はい」
沼尻「で、えー、まあ、広く社会の皆様に福島第一原子力発電所の状況を情報発信することが重要であるということがございますので、個別取材については、取材の趣旨、内容等をうかがった上で、個別に判断するという形になります」
畠山「ということは、例えばフリーランスが合同で取材をしたいという場合には、改めてこちらから申込をして、それについてその都度そちらで検討してくださるということでしょうか」
沼尻「そうですね。企画書をいただければ、その取材の趣旨、内容等を検討させていただいた上で、個別に判断させていただきます」
畠山「はい」
沼尻「で、一応ですね、発電所内には、依然としてですね、放射線量の高いスペースとかございますし、まあ安全上の観点から厳重な管理が必要というところもございますので、すべての個別取材を受け入れることは難しいということはご理解いただければと思います。こちらの方も新聞メディア、テレビのメディアも含めてですね、お断りしている実態もございます。ということはちょっとご理解いただいた上で、ということでお願いいたします。はい。以上でございます」
畠山「わかりました。これを連絡会の方で共有いたしますので」
沼尻「わかりました」
畠山「はい。どうもありがとうございます」
沼尻「はい。よろしくお願いいたします」 
 
以上です。 
 
==============================
ちなみに、東電が持ち込みカメラの制限の理由に挙げた被ばく防護のための「養生」は、個々の取材者が行うことになっている。これに関しては、同じくフリーランスの村上和巳さんが3月11日に持ち込みカメラの台数を巡り闘ったことをツイッターで報告している。
 
また、個別取材に応じない理由に「新聞メディア、テレビのメディアも含めてですね、お断りしている実態もございます」と答えているが、「お断り」しているどころか「受けている実態」がある。
 
さらには、大学の先生が「東京電力がヤフー側に持ちかけた情報公開戦略 」だとして中央制御室についてレポートしているケースもあり、「情報公開」ではなく「情報操作」ではないかという声もフリーランサーの中から上がっている。
 
別の話。
 
畠山さんのブログに詳細が掲載されていくと思うが、ジャーナリストの寺澤有さんらの呼びかけにより、フリーランス表現者達が「特定秘密保護法の違憲確認と施行差し止めを求める訴訟」を提起する。
 
私も突っ込んでいきたいところだが、むしろすでに提起されて報じられていない数々のダム訴訟について、書くことが役割なのだろうと考えて、この訴訟への参加は断念する。
 
別の話。
 
以前から一度お会いしたいと思っていた北原みのりさんにお会いすることができた。格好いい方だった。お会いできてよかった。私もシャンとしなきゃいかん。

316.水面下の越脱法行為 最上小国川で起きたこと

フェアな意思決定、合意形成はどうやったらこの国で根付くのか。
 
意思決定過程を辿るための開示請求を昨年来いくつか行っていて
開示決定の延期の末に、不存在、不開示、開示の決定が届く。
 
昨日は内閣府に黒塗りを含む国家安全保障会議の文書を受け取ってきた。
 
不当、不信な点があるので、たとえ、最終的に開示がなされなかったにしても
立法(改正)の必要性を立証していくために、異議申立をしていこうと思う。
 
しかし、実は、このように、意思形成過程を「開示請求」によって
裏付けたり、不当、不信な点を明らかにできるのは(免罪はしないが)、まだマシだ。
 
最も卑劣かつあってはならないのは、正式な法手続きがありながら、
それとは別に、許認可権を背景に、水面下の働きかけが
権力を持つ側から申請者に対して行われることだ。
 
それが行われていたのが山形県だ。
 
最上川の支流、最上小国川における漁業権を巡り、
漁業法に基づく漁協権の切替(更新)手続がありながら、
それとは別に、県幹部が、事実上、夜討ち朝駆けで
ご高齢の漁協組合長にコンタクトをし、
法律には定めのない「担保」を漁業権と引き替えで要求していた。
 
その脅しにも屈さず得た漁業権の更新。その後、明らかになった「担保」。
その末に始まった「協議」。
 
その協議2回目の打ち合わせの朝、漁協組合長は「自死」を選んだ。
 
追い詰められた心のうちを裏付けることができるのは亡くなったご本人でしかない。
 
しかし、少なくとも、自死する朝までに何が起きていたのかを記録する必要がある。
昨日出た週刊金曜日3月14日号で記録した。
 
その他に何ができるのか。
 
このようなことが二度と起きないために自分は何ができるのか。
山形県という保守的な地域に対して、何ができるのか。
 
どう訴えたら「保守」と言われ、ダム問題については
表向き「推進」としか言えない人々に対して、
これはダム問題に限らない、意思決定や行政手続の問題なのだと受け止めてもらい、
沼沢組合長の自死の重みと意味を考えてもらえるのか・・・。
 
そう考えたら、ある一つのことしか、私には思い浮かばなかった。
その朝、目が覚めて一気にストレートにその思いを形にしてみた。
が、現在、挫折している。
道筋を考えていくと、2つのことを先に済ませなければならない。
 
時間はかかるだろう。しかし、沼沢組合長の死をきっと良いことに向けて昇華させる。
 
意思決定に加わることの重み、大自然に流れる一筋の川、多くの人々の思いや思惑が絡む川を改変させるか守れるか、人間時間と比べれば「永遠」に近く影響を与えてしまう決定に加わることのおそれ。そのおそれを感じている人こそが意思決定に加われるようにする。
 
このダム事業に関心を寄せ、漁協組合長を知る多くの人々が、それぞれ、その自死以前から、山形県のやり方に対しては異論や改善を訴えて来ていた。以後もその訴えはやまない。以下はそのごく一部だが紹介する。
 
●この問題を一貫して訴えている「最上小国川の清流を守る会
2014年1月27日 最上小国川の清流を守る会
2014年1月20日「ダム検証のあり方を問う科学者の会」
●小国川漁業協同組合に対して山形県から加えられた不当な圧力に抗議する決議
2014年3月1日 日本環境法律家連盟(JELF)「2014jefl.pdf」をダウンロード

2014年3月12日 (水)

315.スーパー堤防で思う成熟社会のまちづくり

目からウロコが落ちる答えが返ってきた。

江戸川区が「まちづくり」として進めている北小岩のスーパー堤防の予定地で、周囲の家屋を取り壊される中で暮らし続けている高橋喜子さん(82歳)と佐藤恭子さん(84歳)に、江戸川区になんと言いたいですかと聞いたときだ。

Photo クリックで拡大可 2013.12.18撮影

高橋さんは開口一番こう言った。「歩道橋にエレベーターを付けて欲しい。私も84だから階段を上って荷物を持って上がって降りるのはたいへんなんです。じゃないとぐる~っと回って信号渡らなくちゃならない。身近なことをやってもらいたい。もっと足元を見つめてもらいたい。」

100年に一回の洪水に備えるなどと国はスーパー堤防を進めるわけだが、長年暮らし続けて高橋さんの暮らしにとって大切なのは、日々の暮らしが少しでも過ごしやすいものになることだ。

Photo_2 クリックで拡大可 2013.12.18撮影

佐藤さんは「こちらの事情をいろいろ書いて(江戸川区に)出してあるんです。いろいろなことが分からないからどうしたらいいか、メニューをくださいといってあります。病気も出てきた。心筋症、パーキンソン、骨粗鬆症、3つを持っているから盛土の上には住めない。どうしても住めないことが分かっているからなんとか考えてくださいと言っている」

女性、子ども、お年寄り、いわゆる社会的弱者の言うことを聴きながらでなければ、本来は、人が幸せを感じる「まちづくり」はできない。それは、つまりこういうことなのだ。

段差や坂道があるだけで、お年寄りや介護をする者にとっても、若い人には想像を絶する苦労がある。高橋さんと佐藤さんは、言葉少なく、今後の日本の国作りに大きなヒントを与えてくれている。

いつの間にか、「スーパー堤防」という国の事業と江戸川区が主体で始める「区画整理事業」が「合体」した事業が始まり、一度は江戸川区の「盛土をする区画整理事業」となり、再び、二つが「合体」するという経緯を辿っている(*1)

しかし、この構想自体が、健康で頑丈な男性によって机上で作られたものではないか。

高度経済成長により、大切なことを学ばずに、成熟社会を迎えたが、社会のさまざまな構成メンバーの意見や気持ちをくんでまちを作るための、「民主主義」という大切な概念はいまだに幼い。

3月11日午後、今さらながら、打ちのめされたような気持ちで、公共事業改革市民会議による江戸川区長への公開質問状提出の取材から帰った。

20140311_edogawa
3.月11日、江戸川区役所。右が職員、左が公共事業改革市民会議。手前の背中、右が高橋喜子さん(82歳)、左が佐藤恭子さん(84歳)

公共事業改革市民会議 は、江戸川区長に対して公開質問を粘り強く繰り返している。江戸川区もまた、その都度、質問を口頭と文書で受け、2週間の期限を置いて回答を行ってきた(*2)。冒頭の高橋さん、佐藤さんへの質問は、この後に行われた記者会見の席で行った。

*1 法律的にはまだ、からへの法律に基づく変更手続の前だ。物理的に後戻りがきかない状態にしてから、この手続を始めた。このことを報じることもブログにうまく記す時間も取れず、意見提出の締め切り日の2月21日、自宅を出てから今日が締め切り日だと気づき、フクイチ取材のくじ引きを済ませ、放射線と甲状腺がんに関する国際ワークショップ に行く電車の中でiPhoneで書き、WS会場の品川プリンスホテルに駆け込んで、ロビーでコインPCとプリンターを見つけて、メールで受けて、A4用紙に落として完成させて、コンビニに封筒を買いに走って、知事宛に投函し、WSに滑り込んだ。何を書いたか忘れそうなので再び、その中身をメールで自分に送った。その内容をこちらに上げておく(だからフォーマットはずれている。住所電話も省略する)「tokyo_gov_20140221.docx」をダウンロード

*2 公共事業改革市民会議による江戸川区長への公開質問
2013年9月30日、1回目 
2013年11月8日、2回目 
2014年1月16日、3回目
そして2014年3月11日、4回目

2014年3月11日 (火)

314. 3.11の朝に思う70年の歴史

3.11の朝、悲しい思いで目覚められた方の心に寄り添いたいと思うだけで、相変わらず自分は無力である、それどころか何かをするための努力すらできていない、という申し訳なさを振り切りながら、今日も生きます。

この1年は、戦後の歴史を勉強し直す1年だった。靖国神社には軍人さんだけが祀られており、同じ戦争の犠牲者である東京、大阪、名古屋、川崎、横浜などの無差別大空襲で亡くなった人は祀られていない。

それどころか、連合国軍(実質、米国)の占領が終わったあと、真っ先に軍人さん達は「戦傷病者戦没者遺族等援護法」の制定を求めて1952年に成立させたが、その後、現在に至るまで、国内で戦傷した人々の犠牲を国家が補償する法律はない。

広島・長崎の被ばく者は自力で立ち上がって1957年に「原爆医療法」を成立させ、シベリア抑留者を「慰藉」するための「戦後強制抑留者特別措置法」は2010年までできなかった。しかも「国家補償」という考え方をとらなかった。

戦争の犠牲を誰が払ったのか。靖国神社にだけモーニングコートを着て参拝する首相の歴史認識が理解できない。国内で命を戦争のために落とし、参拝される場所すらない、多くの無名無数の戦争犠牲者を放置したまま、靖国神社にだけ哀悼の意を捧げてきた歴代の閣僚たちの歴史認識がますます理解できなくなる1年だった。

高度経済成長期に引き起こされた企業犯罪である公害の被害者が放置されたのは、その繰り返し、延長線にあり、その延長線上に、2011年3月11日の地震、津波、原発事故の被害者への扱いがある。

私たちはもっと近現代の歴史を子どもたちに教える国にならなければならない。

今日は、天災でもなく戦争でもないのに、爆撃されたと言っても過言ではない情景の広がる江戸川区のスーパー堤防に関するむなしい取材に行っていきます。

2014年3月10日 (月)

313.福島第一原発 初めての現場取材(その2)

前のコマからの続きです。
 
初めて原発が爆発した現場に入り、今さらながら実感を持って分かったことがある。
被ばく量を計測するためのホールボディカウンターとAPDのことだ。
 
ホールボディカウンターはセシウムなどのγ線による内部被ばくを測るもので、Jビレッジの近くに測る場所が設けられている。フクイチに入る前と入った後に二度測る。作業員さんたちはここで3カ月に1回、内部被ばくを測ることになっている。取材者のようなビジターはその都度、測ることになる。
 
イスのような計測器に入り、1分測り、目の前に「異常ありません」と出てくる。それで追い出されそうになる。「え?それで終わり?」と慌てて、お願いをすると、Jビレッジを出る前に数値を教えてもらうことはできた。前が1772、後が1786。「この単位は?」と意味を教えてもらおうとするが、「カウントです」と言われる。業員さんたちが受ける対応も同じだとすると、とてもではないが、安心して働いてもらおうという姿勢には見えない。
 
自分の数値二つの意味が分かれば、作業員さんたちの現状と比べることができると思い、東電、原子力規制庁、環境省、福島県(福島県や自治体も住民に対してホールボディカウンターの計測を行っているため)と、次々と電話をかけて把握しようとしてきているたが、現在に至るまで理解できた、と思うところまで至っていない。もう一つ、専門機関に聞いてみることにしているが、この状態で、作業員さんたちの労働環境が、少なくともホールボディカウンターによっては、守られているとはとても思えない。同様に県や自治体が行っている計測にどれだけの意味があるのか、まだ皆目分からない。
 
APDは計画線量(つまりその日に被ばくはこれぐらいの量に抑えておこうと考える線量)をセットして、計画線量に近づくごとにピィ~という警告音が出るようにしておくものだ。この日、取材者たちの計画線量は0.2mSVとされ、0.04mSVに達するごとにピィとなると質問をしてやっと教えてもらうことができた。こうして、その日の実際の被ばく量がそれで分かる。これは胸ポケットにいれておく。山本宗補さん写真でよく分かる。
 
2011年12月には、株式会社東京エネシスがこの線量計の前に鉛のカバーを取り付けて、下請け会社の作業員の被ばくを適正に計れないようにして作業させたことがあった。(次の年に不正事件として明るみに出たが、私の知る限り、逮捕者は出ていない。これについては2012年8月13日に東電がプレスリリース を出している。)
 
作業員の被ばく管理については、事故直後に週刊金曜日で6月3日に「管理手帳なしで現場作業させる東電」でその当時のことについては取材をしたが、改めて、このAPDがどう自己・他者・東電に管理されているのか見ていかなければならない。

312.福島第一原発 初めての現場取材(その1)

2月26日、東電が福島第一原子力発電所を取材者に現場公開し、フリーランスの2人枠をくじで引き当てて参加できることになった。
 
もう1人の枠を引き当てた山本宗補さんが、「東電福島第一原発収束作業現場公開取材写真ルポ(TEPCO's Level 7 Nuclear Accident Site at Fukushima Daichi 3 Years After 3・11)」で写真入りで記録している。私が紙媒体で書くのは来月になるので、ここには取材そのものについてのことと、細かいことだけど大切な基本的なことを書いておきたい。
 
Photo クリックで拡大可。
フォトジャーナリストの山本宗補さん。カメラも「被ばく」しないように養生をする。Jビレッジにて。
 
取材のこと
今回はフリーランス編集者の渡部眞さんが現場公開 があるよとフリーランス連絡会宛てに知らせてくれて、応募できた。放射能で汚染された現場故に、取材には条件と制約がある。
 
フリーランスが参加できる条件は、東電会見に出ていて、それに関する記事や著書があることだ。申し込み書に添付しろとあり、私の場合は最も最近の二つ、「コントロール不能の汚染水漏れ:六つの危機」(週刊金曜日11月1日号)と「四大公害病」(中央公論新書)で触れた該当箇所を送った。
 
それをクリアすると今度はくじ引きとなり、引き当てると、2枠のうち、カメラを持って入れるのは1人となる。山本さんはフォトジャーナリストなので、譲るのが賢明だと考えた。当日、私のカメラはJビレッジに残し、フクイチに向かった。
 
道中、地震で商品が棚から崩れ落ちたままになってる店や、駐車上に車が止まったままの大型郊外店、除染して出てきた土砂を置いてある広大な土地(おそらくかつての田んぼ)など、地震と原発事故の複合災害の爪痕はそのままになっている。
 
フクイチに入る直前から、門を撮ってはいけない、と、撮影の制約がカメラを持ち込んだ人にもかかり、構内では、核防護を理由に監視下での撮影となる。一つひとつを目に焼き付けていく。海側から原子炉建屋に向かって押し流され、パンクしたままの大型クレーンが印象に残った。津波の威力と倒れなかったクレーンの意味を考えた。
 
撮影の人数や制限の理由は、核防護とバスに乗車できる人数などだった。しかし実感として撮影の監視もバスのスペースも問題がないと思えた。今後のために、フリーランスの取材枠を広げる要望も出しておこうと考えを出し合ってまとめ、畠山理仁さんが取扱者となり、3月4日に申し入れをした→「Freelance.pdf」をダウンロード 。3月14日までに返事がくるはずだ。
取材直前と、取材に返ってきてから愕然としたことが山とあるので、一つだけ、紹介しておきたい。
 
私たち取材陣が福島第一原発の第一号機を訪れていたのと同じ2月26日、原子力規制庁が、同じ第一号機の原子力建屋を訪れていた。ただし、私たちが見たのは、その1階と地下1階で、原子力規制庁が訪れたのは3階から4階だった。
 
それに気づいたのは3月7日。夕方17:30から行われた東電の定例会見でそう説明があった(私は録画で拝見)。
 
1号機の燃料を取り出すために、破壊された1号機の原子炉建屋がどのような状態にあるか、躯体調査をすることが目的だったと言う。ここに写真(上の方)と画像(下の方)が載っている。一週間で消すと書かれているから見たい人はお急ぎを。
 
愕然としたのは、同じ日、同じ場所、同じ建物の別の階で、原子力規制庁の視察が行われていたことが取材陣には一切、知らされなかったことだ。言う必要も無いと考えたのか分からないが、一号機の天井から地下まで、全体を通して見ることが可能ならば、より深く、現状を理解できたのではないかと思った。そうした選択もあったはずで、目下のところ、情報の小出しによる情報操作の臭いがして、愕然とせざるをえなかった。
 
●大切で基本的なホールボディカウンターとAPDについては次のコマで。

2014年3月 9日 (日)

311.防ぎ得る二度目の悲劇 新潟水俣病を忘れないで

「皆さん、新潟水俣病のことを忘れないでください」

2014年3月1日、都内で行われた環境省主催の
「水俣病の教訓を次世代に伝えるセミナー」で
近四喜男(ちか・よきお)さんが念じるように語った。

「新潟水俣病が起きることは
 熊本の水俣病がわかった9年前に分かっていたのに
 それを繰り返したんだ」

その近さんの半分ぐらいの年齢かもしれないと思える
環境省の小林秀幸特殊疾病対策室長は、
近さんや水俣から来られた緒方正実さんが語る前に挨拶の中で
昨年、採択された「水銀に関する水俣条約」について

「水俣の悲劇を世界で二度と繰り返さない」ことが目的だと語り、
「ただ、『二度と』という言葉を疑問に思う人がいるかもしれない、
 新潟で二度目を起こしてしまったので」と付け加えた。

同じ公害を二度起こしたのは何故だったのか
そのことそが次世代に伝えるべき教訓であるにもかかわらず、
何故「三度目の水俣病を起こさない」と国内外で表現しないのか。

私に分かるのは、近さんが叫んだように
新潟水俣病を日本人が忘れているからだということだ。

少なくとも環境省の若い職員は、第一の水俣病の歴史すらきちんと学んでいない。
職員教育すらされてもない。そのことは偶然、現場で知ることとなった。

あるとき、環境省職員が途上国の行政職員たちを水俣に案内した。
チッソと環境省にお願いをして、彼らがチッソの工場を見学する時間に
そこに混ぜてもらうことができた。

「サイクレーター」だけは一目見ておきたい、そう思っていた。
「サイクレーター」とは、水俣病の原因が水銀であることが分かったあとに
チッソが国の指示に従って1959年に設置した浄化装置だ。

完成時には大々的なセレモニーが行われ、
誰もが水銀が処理されるようになったと思い込まされた
見かけ上、水俣病は解決したと思い込まされた。

しかし、30年もあとになって、それは噓だったことが分かった
サイクレーターに、水銀の浄化能力はなかった。
訴訟が起きていなければ、この事実は明るみにでなかった。
設計の受注会社の担当者が証言しなければ、闇に消えていた。

この装置が現在も工場内にある。

そう聞かされていたので、見ておこう考えていた。
バスに乗り込む直前、チッソ工場の航空写真の前に立ったときに
偶然、環境省の方がいたので、なにげなく
「サイクレータ-はどれでしょうね」と話しかけた。
すると、彼は「サイクレータ-」を知らなかった。
恐ろしかった。案内役のチッソ職員に聞くと指を指して教えてくれた。
悲しいがホッとした。チッソ社内では語り継がれている。

環境省(国)では、何を語り継がねばならないかが共有されていない。
噓により被害者を増やし続けたことが、共有されていない。
しかし、水俣から学んで欲しいと、途上国の職員を連れ回っている。

それ以後、「サイクレータ-」のことを考えながら、
福島第一原発の汚染水を
その浄化装置「アルプス」を、「サリー」を取材し続けざるを得ない。

汚染水を封じ込めるという凍土壁を取材し続けざるを得ない。

サイクレーターが完成した6年後に、新潟水俣病は発症した。

「皆さん、新潟水俣病のことを忘れないでください」
近さんの言葉は、今、東電の柏崎刈羽原発を連想させる。

スリーマイル島、チェルノブイリ、福島、三者三様の原発事故から何を学んだのか。
国内で地震・津波被害が繰り返されてきたことから何を学んだのか。

原発再稼働は「未必の故意」ではないか。

再稼働を望む業界人、政治家、とりわけ、東電と国は、
新潟水俣病がなぜ起きたかを学び、防ぎ得る二度目の悲劇を防ぐべきだ。

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