213.小さな生息地ほど守るのが難しい
6月29日、最高裁まで行って敗訴した
落合川のホトケドジョウの「生きる権利」訴訟の記念集会に行ってきた。
帰り道に、藤田城治弁護士が
その落合川を見に行くというのでご一緒させてもらった。
問題となった川は「小川」だと聞いていたので驚かなかったが、
その美しさには驚いた。
湧水から流れいずる川だけあって水が透明で、
カモの親子があちこちでスイスイ泳いでいる。
昭和30年代以降、この周辺にバカスカと家を建ててしまったため
それらの家が浸水して、河川改修が必要だということになり、
川を新しく掘って直線化し、その残土で
もともとの小川が埋め立てられてしまった。
治水を頭にいれずに宅地化を進めておいて
そのツケを払わせられることになったのが
そこに元々住んでいた生物だ。
ホトケドジョウは今では絶滅危惧種になっている。
ホトケドジョウにだって生きる権利はある。
そうやって始まった裁判だった。
治水のために新しく川は作るのはよいとしても
もともとの川を埋立なくてもいいのではないか?
これに対し、事業者である東京都は
ホトケドジョウを強制移住(←藤田弁護士の表現)させるから大丈夫
という考えで進めてきた。
裁判をやっているうちにこの区間の事業は進み、
裁判官は和解による解決を提案した。
そこで原告は、ホトケドジョウの生息地を回復するために、
都が作ると事業開始前から説明していたビオトープの設置を作るよう提案した。
これに対し都は
「工事内容は『川の交流会』で市民との協議により進める必要があり
原告からの提案のみで決定することには問題がある」と言い、
原告は、都の意見に耳を傾けて歩み寄った。
流域である東久留米市内の主だった環境保護団体と提案内容を共有して
ビオトープ創出の実行への賛同意見を集めたのだ。
ところが、裁判所での和解協議の日が近づいたところで、裁判長が交代した。
すると、都は、態度を急変させて、裁判所に対しては
和解ではなく、結審(裁判を終えること)・判決を求めた。
原告に対しては、『川の交流会』は裁判の途中だから開催しないと回答した。
『川の交流会』で市民との協議により進める必要があると言いながら
『川の交流会』は裁判中だから開催しないと言う。
裏切られた、と原告は憤った。
はしょって結論を言うと、和解は決裂して、
最高裁まで行ったが住民は敗訴した。
東京高裁は2011年2月16日に、以下のような
根拠のない判決を出している。
「本件工事の前後におけるホトケドジョウその他の魚類の
個体数の増減は明らかでないが、
仮に個体数の減少がみられるとしても、
絶滅に至るなど魚類の生育に致命的打撃を与えたものではない」
最高裁は2012年2月2日、9ヵ月もたって
「適法な上告理由にあたらない」と原告の上告を棄却した。
根拠のない判決を支持したのだ。
「小さな自然ほど守ることが難しいですね・・・」
藤田弁護士とそんな話をしながら、東久留米駅へと
落合川沿いを歩いて帰った。
原告が守ろうとした場所は
ホトケドジョウが暮らしたほんの小さな川の一部だ。
日本の環境影響評価法や条例が適用されるかどうかは
川の規模で決まる。
こうして、小さな生息地は調査されることなく破壊され
人間は、多様で脆弱な自然に暮らす生物たちの生きる権利を奪ってきた。
東京都が事前説明に使ったパンフレットにあったビオトープは、
現在に至るまで作られていない。
(上記は、藤田城治弁護士のシンポジウムレジメ、
「ホトケドジョウ訴訟が突きつけたもの~ホトケドジョウの生きる裁判」を参考にしました。)
私がこの日、前座としてお話したレジメはこちら(PDF)です。
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