192.旧計画の呪縛を解く(20)矛盾①条文VS運用
地方取材中の朝、宿から書いた矛盾① を書き直す。
利根川・江戸川有識者会議第10回で、
野呂法夫委員(東京新聞特別報道部次長)が
第8回(2013年2月14日)で昭和22年の議論を含む
治水調査会利根川小委員会議事録の公表を求め、
それが、第9回(2013年2月21日)に委員会に提出されたことは先述した。
野呂委員はこの議事録をもとに、
現在の利根川水系の治水計画<これが旧計画の呪縛>の
もととなっている昭和22年(1947年)のカスリーン台風で
八斗島(やったじま)を流れた最大流量について次の指摘を行った。
○カスリーン台風の実績流量は
(1947年に)15,000トンで検討(これのP.2)されていたが、
1948年8月に突如、辻褄の合わない17,000トンとされ、
それが採用されている。
○河川法施行令10条 では
(河川整備基本方針や)河川整備計画をつくる際
過去の洪水を考慮して整備計画をつくることとある。
○第8回の会議の最後に、小島河川調査官が、
「今回の原案で示した目標流量は
平成23年度に新たに構築した流出計算モデルに基づき
検討を行った」と述べている。
過去の洪水を検討したのではないなら
河川法施行令10条に反すると言うこともできるのではないか。
○再現計算流量で21,100トンという数字が出ているが、
17,000トンとの間の4,000トンの差を説明できていない。
(ねつ造だと批判された)氾濫図は
今回の再現計算流量には関係ないという言い方をしている。
17,000トンは架空ではないか。
○利根川改修計画資料は、新モデルの科学性根拠を崩すというか、
それは違うんじゃないかと先人達が声を今張り上げているんじゃないか。
○矛盾は一向に解消されておらず
一般の流域住民から見てまったく解せないものではないか。
これに清水義彦群馬大学大学院教授が、
「カスリーン颱風の研究 利根水系に於ける災害の実相
日本学術振興会群馬縣災害対策特別委員会報告」(昭和25年5月、群馬県)
を引き合いに、国交省に同調すると考えられる発言をかぶせた。
○目標流量は釈然としていないというのはあるかもしれないが、
カスリーン颱風の研究によれば、
三支流の流量の合計は16,900だったとある。
この数値は一つの根拠ではないか。
河道貯留(河川敷その他を含めた川に貯まる水のこと)があり、
幅があるかもしれないが、17,000トンは架空とは言っても
議論するに値する。(11回会議で16,900トンより小さかったと発言するが)
国交省提案に同調する立場で発言した清水教授との質疑で
小島河川調査官が素直に発した答えは実は重要だ。
清水委員「カスリーン台風の(洪水)は使っていない?」
小島河川調査官「はい。雨量は使ってございますが、洪水は使っておりません」
実は昭和22年から繰り返し議論されてきた流量は二つあり、
21000トンは氾濫した水を合計しての推定(「氾濫戻し」と言う)で
17000トンは氾濫した水をいれない推定だ。
どちらも推定でしかない。
「洪水は使っていない」
河川法第16条では「河川整備基本方針は、水害発生の状況、
水資源の利用の現況及び開発並びに河川環境の状況を考慮し」
とされている。
どこにも「計算し」とか「推計し」とは書いていない。
同様に、その下位計画である河川整備計画は第16条の2で
「河川整備基本方針に即し(略)、政令で定めるところにより、
当該河川の総合的な管理が確保できるように定められなければならない。
この場合において、河川管理者は、降雨量、地形、地質その他の事情により
しばしば洪水による災害が発生している区域につき、災害の発生を防止し、
又は災害を軽減するために必要な措置を講ずるように特に配慮しなければならない。」
とされ、ここでも「計算」「推計」をもとにとは書いていない。
そこでいう政令で野呂委員の言った河川法施行令(政令)が登場するが、
ここでも「過去の主要な洪水、高潮等及びこれらによる災害の発生の状況
並びに災害の発生を防止すべき地域の気象、地形、地質、開発の状況等を
総合的に考慮すること」と書かれ、「計算」しろとは書かれていない。
では「計算」しろと誰が決めたのかが
「密室」で決定する旧計画の呪縛のもととなっている。
(続く)
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