193.旧計画の呪縛を解く(21)矛盾②05年VS13年官僚説明
(続きです)
野呂法夫委員(東京新聞特別報道部次長)が指摘したように、
河川法施行令(政令)には河川整備計画を立てる際には
「過去の主要な洪水」などを「総合的に考慮」せよとは書かれている。
しかし、「計算」で決めろとは書かれていない。
では「計算」しろと誰が決めたのか?
国会や国民にとってアンタッチャブルである密室、
「河川砂防技術基準」なるもので書かれている。
「河川砂防技術基準」には長年その後ろに「(案)」がついていた。
この基準は各水系で柔軟に活用されるための単なる目安だからだ。
しかし、河川官僚には金科玉条の存在となった。
日本全国のほとんどの川の治水計画は
住民の意見など聴かずに
パラメータの設定でどのようにも操作が可能だと批判される
「貯留関数法」などの机上の計算で、立てられてきた。
しかし、そのことは官僚の口から計画策定の場で
オープンに語られたことがなかった。
ダム反対派にも、それはそういうものだと受け止められ、
その恣意性を論破することにエネルギーが注がれてきた。
しかし、本当の根本的な問題は、
治水計画が、官僚が選んだ計算手法で立てられるということだ。
密室で数字の操作が可能な状態で、
治水が立てられてきたということだ。
計算のインチキさ加減の証明は実に困難で、
その計算のために、過大な基本高水が弾かれて
その基本高水をダム建設によって計画水位まで下げるために、
何兆円ものお金が費やされたことを、裁判所も判断しあぐねてきた。
利根川の場合、21000 m3/秒という「計算結果」は過大とされながらも
観測流量が存在せず、
実際に流れたと彼らが推定する流量17000m3/秒との乖離さえ
山に洪水が上がる氾濫図でしか説明がつかなかった。
そのねつ造が暴かれると、
計算モデルにはそれは使っていないと言い逃れた。
河川法を忠実に解釈すれば、過去の洪水を考慮して
今までで一番大きな洪水(既往最大と言う)に合わせて
治水計画を立てる方法をとっても違法でもなんでもない。
改めて確認をすると、2005年の
利根川の治水計画の大元を決めた「河川整備基本方針検討小委員会」でも、
事務局たる国土交通省は
「観測史上最大の昭和22年カスリーン台風の実績が
大体22,000m3/sであります。」(2005年10月3日議事録)
と堂々と説明をしていた。
あたかも既往最大が22,000m3/sであるかのような説明である。
今回の会議の中で、真実は何かが追究されるうちに
八ッ場ダム計画を抱えるお膝元にある群馬大学の清水義彦教授ですら、
「カスリーン颱風の研究によれば、
三支流の流量の合計は16,900だったとある。
この数値は一つの根拠ではないか」と述べざるをえなくなった。
(そしてこの16,900も過大であることを清水教授は
この次の第11回会議で述べることになる)
22,000m3/sを「実績」とした記録はもない、
22,000m3/sを「実績」とする根拠は存在しない。
雨量からの「机上の計算」だったことが河川官僚の口から語られた。
それならば22,000m3/秒を「実績」と称し、基本高水と決定した
2005年の審議 は一体なんだったのかということになる。
以下の対比表でわかるように
22,000m3/秒は前任者が旧計画で決めた数字の踏襲であることはわかる。
対比表(平成17年12月19日、国土交通省 河川局)のP.29
それから8年が経ち、ようやくそれが「実績」ではなく、
雨量から求めた計算に過ぎなかったことが
今の河川官僚の口から語られた意味は大きい。
公開で繰り返し納得がいくまで議論されることの大切さが、
このこと一つだけをとっても分かる。
そしてそれを避けたいからこそ、
聞き置くという姿勢に終始するのが
これまでの国交省の姿勢だったのだ。
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