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2013年3月30日 (土)

203.否定の肯定の否定。判断できない裁判官

3月29日(金)、東京都民が提起した「八ッ場ダム住民訴訟」の高裁判決が下った。
 
判断したのは三人の裁判官(裁判長:大竹たかし、裁判官:栗原壯太、田中寛明)。
 
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「行政が噓をついていても計算が間違っていても、
 行政裁量の範囲なんですか」
 
「裁判官が何かが却下で、何が棄却って。あとは長いから
 判決文を読んでくださいって・・・。」
 
「裁判官って当事者意識がなくて、随分無責任だと思いました」
 
傍聴していた原告や証人が出てきて吐き出すのは、
怒りと戸惑いと疑問だった。
 
今回の裁判は、都が国に払う利水のための受益者負担
治水のための建設負担金の支出は違法ではないかというものだった。
 
司法に問えることには限界があるなかで、
限界があるからこその提訴であり、控訴だ。
 
 理想的な司法制度がないからといって使わなければ
 それが機能しないことにも気づけない。
 
これに対する裁判官の判決文は87ページだった。
「主文」には2つのことが書いてある。
 
1.この裁判をやってる間に使ってしまった都の支出については、
  もう使ってしまって差し止めはできず、裁判の意味を失ったから「却下」する。
 
2.残りの支出については「棄却」する。
 
この後に、裁判官がなぜ「棄却する」と判断したのかが書かれている。
 
たとえば、原告は、この20年間で水需要は2割減少した事実を訴えたが、
東京都は水需要が増加する予測を出して八ッ場ダムが必要だと訴えた。
 
これに対して、東京地裁の裁判官は、この都の考え方を
「直ちに不合理なものであるということはできない」としていた。
 
この判決を不服として原告たちが控訴した結果が、今回の高裁判決だが、
直ちに合理性を欠くものであるとまでは認められない
との字句調整で終わった。
 
また、たとえば、治水については、
 
中川博次氏が率いる「今後の治水のあり方に関する有識者会議」が
 継続か中止かを検討したから、
 
○関東地方整備局が「費用対効果を約6.3と算定」した報告書を出したから、
 
○東京大学家田仁教授ら率いる関東地方整備局事業評価監視委員会が
 その報告書(素案)を「妥当な結論」であると言ったから、
 
○東京大学小池俊雄教授が率いる
 「第三者的で独立性の高い学術的な機関である日本学術会議」が、
 検証を行ったから、
 
という理由で、
 
 「科学的合理性を欠くことが明らかであるとは認められない」
 「控訴人らの主張は採用することができない」
としている。
 
これらのわかりにくい日本語を普通の言葉に置き換えれば、
 
 
「やがて合理性を欠くものになるがその判断は後でやってくれ」
「とりあえず、えらい人たちの判断を採用しておくね」
 
という程度ではないか?
 
裁判官は自らの頭で判断することを避ける決定をしたのだ。
 
と、裁判所が「必要性を認めた」という過剰な表現をしている。
 
地裁判決の時に見られた現象だが、
この誤報を今度は推進派の知事や政治家が勘違いして
繰り返すようになる。誤報を鵜呑みにしないように、
判決を手に入れて読んでいただきたいところだ。
 
今のところ、もっともフェアなのが、短くはあるが、
住民の支出差し止めを認めなかった、や
「合理性を欠くとは認めらない」という裁判長の言葉を使った
WSJが載せた時事通信や日経新聞の記事だった。
八ツ場ダム訴訟、二審も住民敗訴=東京都の支出差し止め認めず—東京高裁
八ツ場ダム訴訟、二審も住民敗訴 東京高裁判決
 
判断の自信のない裁判官が、
訴えた原告には理解できない言葉で判決を下し、
司法記者もそれを正しく報道できない。
 
権威にすがり、長いものに巻かれることをよしとする裁判官が
行政の裁量を野放しにして、
社会は是正されないままに未来へと手渡される。
 
 

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コメント

日本の場合は、裁判で何とかできないので、別の方法を考えるしかないですね。まぁ、行政訴訟の差止めというのは、例えば飛行場近くの住民が騒音被害を訴えたりするケースでは稀に認められる可能性があるぐらいです。

無駄遣いを直すのが目的だとすれば、選挙によって何とかすべきなんでしょう。

読売新聞の見出しには、「必要性認定」とありますが、裁判所は、積極的に必要性は認めていないと思います。
 この点については補説(3回予定)を書きますが、裁判所の判断は、ダム計画ないしそれに伴う公金支出(東京都の分担金)について、不合理がないかを判断したものです。
 しかも、その不合理のレベルが(意訳しますと)”一目で見て、誰でもわかるような不合理”があるかどうかという判断でした。「誰がみても、一目でわかるほどの不合理」とは、例えば、淀川の治水計画として八ッ場ダムを建設するとか、八ッ場ダムの負担金を福岡県に課すとか、そういうレベルの話です。
 どんな行政計画でも、そこまでひどい不合理があるはずはありません。裁判所が判断基準にした”合理性の判断”は、実質的に司法審査をしない、行政追随を正当化する論理でしかないと思います。
http://blogs.yahoo.co.jp/kajiken76xyz/61847409.html

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