« 153.八ッ場ダム計画の終焉(1) | トップページ | 155.利根川に1997年が来た(ウナギが問う1) »

2013年1月19日 (土)

154.八ッ場ダム計画の終焉(2)

八ッ場ダムはあらゆる意味で日本を象徴する。続きです。
 
3.守るべき地域資源が守れない。
実は、このことが実感できるであろうシンポジウムが先週土曜日にあった。
 
1月12日、八ッ場のあしたの会が開催したシンポジウム
のどから耳がでるほど聞きたかった話がある。
○「八ッ場ダム予定地における天明浅間災害遺跡の歴史的価値」 
   堀内秀樹氏(東京大学埋蔵文化財調査室准教授・考古学)動画
○「八ッ場ダム予定地における縄文時代の遺跡」 
   勅使河原 彰氏(文化財保存全国協議会常任委・考古学)動画
○「遺跡保存を考える」 
   椎名慎太郎氏(山梨学院大学名誉教授・文化財保護法)動画
  (椎名氏の7:45あたりから300年眠っていた遺跡が
   たった10年で閉鎖された商業施設建設のために破壊された話を是非聞いて欲しい。)
 
仕事の準備上必要があって予約していた
をすっぽかしてでも、行くつもりだったが
はっ!と気づくと、今日行うウナギの話にも通じるではないかと思い直し、
勝川俊雄漁師と消費者をつなぐ素晴らしい研究者だ)の話を聞きにいったが、
やはり、ウナギの話が出た。
 
ヨーロッパウナギは日本人が食べ尽くし(おおざっぱに言えば)、
すでにワシントン条約で輸出入禁止の対象になっている。
 
 ウナギの粉末を使っている浜松名物ウナギパイを
 国際空港で売るときには、国産ウナギをつかっています、
 つまりワシントン条約に違反していませんという表示があるのだという話だった。
 
勝川俊雄さんは海の漁業資源管理の専門家だが、
日本の場合、ウナギの減少については2つ原因があり、
河川開発と養殖のためのシラスウナギの獲りすぎだという話も出た。
 
ニホンウナギも絶滅危惧種となれば、浜松名物ウナギパイどころか、
食べられなくなる。
 
話は完全に逸れたが・・・、
 
先週のあしたの会のシンポにどうしても行きたかったのは、
 現地に行った時(→遺跡は何を語るか-群馬県長野原町)に
 聞きそびれた話が出てくるかもしれないと思ったからだ。
 
実は、こうした天然資源にせよ、自然環境にせよ、遺跡にせよ、
それらを守るために存在する「種の保存法」や「文化財保護法」は
環境影響評価法と絡んで日米比較をした場合に、デジャブの感覚を持つ。
 
たとえば、米国の「種の保存法」は「史上最強の環境法」と呼ばれ、
そこで指定された種の生息地であることが環境影響評価で分かれば
影響の回避、軽減、代償を求められることになるため、
種の保存法で守らなければならないものがあれば、最初から開発行為が起きない。
実際に希少種が出てきたためにダム事業が止まったこともある。
 
また、米国でオスプレイに関する影響評価の結果を読んでいると、
日本で言う文化財保護法に相当するものが出てくる。
自然保護と同様、文化財が破壊されないかどうか重要なのだ。
(ネイティブ文化を破壊した過去はあれど)
米国でのオスプレイ配備を撃退する反対理由には、文化財の破壊がある。
 
ところが、日本では、種の保存法は芥子粒ほどの力も持たない。
同様に、文化財保護法も役に立ったのを見たことがない。
 
たとえば、八ッ場ダムに沈む前から破壊されつくした川原湯温泉は
源頼朝が見つけた温泉だと言われ、地域の財産であるが、まず、
これを守る力にならない。
また、エコ&ピース誌Actioでも書いたが、
八ッ場ダムによって影響を受ける場所には
文化財保護法で保護されるべき風景がある。
 吾妻峡(東吾妻町・長野原町)は名勝として1935年に
 川原湯岩脈(長野原町)は天然記念物として1934年に
文化財として指定を受けている。
 
ところがこの指定は役に立っていない。
 
そして、今、八ッ場ダム予定地の下から次々と、
縄文から江戸時代にいたるまでの遺跡が折り重なって見つかっているが、
文化財保護法は調査をして記録するだけの力しか持たない。
 
日本の環境影響評価(環境アセスメント)法は、
最初から事業を行うことが決まっている結果にアワスメントだと悪名高いが、
悪いのは環境影響評価法だけではなく、
それと掛け合わさっている法律があまりにもショボイのだ。
 
八ッ場ダム予定地には
○浅間山が山体崩壊した泥流や火山灰に埋もれた
  縄文から江戸時代の史跡が埋まっている。
○源頼朝が発見したと伝えられている「川原湯温泉」という文化がある。
  (ところで、明日は川原湯温泉の「湯かけ祭り」だ)
○吾妻峡、川原湯岩脈という文化財保護法で指定された文化財がある。
川そのものが作り上げた文化である。
 
1947年から1949年の審議会で治水計画の根拠が操作されていた証拠がでてきたため、今後、法律に基づく適正な計画を策定すれば、八ッ場ダム事業を位置づける根拠がないことが分かり、事実上、これらの文化は水没しないことになる。
 
しかし、実際にはすでに川原湯温泉の地域はズタズタにされた。
人間が作ってきた地域文化を守れない。
これでは、たとえ、デュープロセスによって文化財が守られることになったとしても
人々が受けた(受ける)許しがたい傷は癒やせない。
 
日本を幾重にも象徴するダムである。
 
救いは、文化財は残しさえすればその新しい価値が
将来世代によって見いだされることもあることか・・・。
地域の人の傷が癒えない限りは、
これも唾棄されても仕方がない繰り言に過ぎないが・・・。
 

« 153.八ッ場ダム計画の終焉(1) | トップページ | 155.利根川に1997年が来た(ウナギが問う1) »

川は誰のものか」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1651265/48829153

この記事へのトラックバック一覧です: 154.八ッ場ダム計画の終焉(2):

« 153.八ッ場ダム計画の終焉(1) | トップページ | 155.利根川に1997年が来た(ウナギが問う1) »

2015年6月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30        
無料ブログはココログ