149.政策と予算の議決権を国民(国会)の手に
官僚のリークは根深いな。その意味を考えずに報じるマスコミがいるんだな。そう思うことが昨日から今日にかけてあった。
憲法で、「予算を作成して国会に提出すること」(第73条5項)は内閣の仕事だと定められている。しかし、それを審議して国会で議決(第60条)するのは、国民が選んだ議員の仕事である。議決が行われるまでは、それは「予算案」でしかない。
ところが、安倍政権の誕生後すぐに補正予算(案)は10兆円になるとリークが始まり、1月10日になると、緊急経済対策は20兆円になる、11日に閣議決定する、とフジニュースネットワーク★が垂れ流した。
緊急経済対策、11日に閣議決定へ 3つの重点分野を設定
http://www.fnn-news.com/news/headlines/articles/CONN00238423.html
「緊急経済対策」とは「予算」が伴うものであり、本来、一体のものである。それを内閣が「緊急経済対策」を11日に閣議決定し、「補正予算」を15日に閣議決定する。だから、その事実を報じて、何がおかしいと多くの報道機関が思ってしまうのかもしれない。しかし、これでは独裁国家下の報道機関である。なぜか?
予算の提出までは内閣の仕事であるにしても、その政策の中身が妥当か、その予算額は妥当なのか、それを国民に代わって審議するのが、国会である。それが行われるまでは決定事項ではない。
ところが、「閣議決定」という言葉の重みから、その報道を受ける側では、それをイコール決定事項として受け取ってしまう。しかし、繰り返すが、予算の議決権は国会にしかない。
55年体制下の日本は、現在の北朝鮮並の独裁制であり、報道のあり方も独裁国家並だった。つまり、制度的には予算の議決権が国会にありながらも、「閣議決定」された段階で、それが国家としての決定であるかのように報じてきた。しかし、憲法では、「国権の最高機関」は国会である。国民が選んだ議員の多数の議決によってしか、予算は決まらない。ましてやその予算を裏付けに持つ「緊急経済対策」とて決まらない。
政権が交代し、再び旧政権へとふり戻ったが、政治状況は完全に戻ったわけでない。「20兆円の緊急経済対策」を、新しい「国会」はどう審議するのか、どう審議すべきなのか、このバラマキ政策を各党がどうとらえるのか、国民にも国会議員達にも(とりわけ新人議員達)考えさせるべき時である。
それにもかかわらず、これまで通り、あたかも決定事項であるかのように垂れ流すのでは、最終的な議決権を持つ国民の代表である国会の力を弱めてきたのは報道者達だと言わざるをえない。霞ヶ関のリークを垂れ流し、内閣の方針を既成事実化し、国会での予算修正力を葬ってきた。
司法権、行政権、立法権を監視する「第四権」が報道といわれてきたが、日本国民はいまや「第五権」として報道のあり方も監視しなければならない大変な国民となってしまった。
なお、フジと同様に1月11日朝までにネット上でリーク情報を報じているのは日経、産経だ。
官僚は意図して巧みにリークする。報道は「事実」を伝えているようでありながら、実は非意図的に世論誘導(既成事実化)をさせられている。今日たまたま取材先で、「緊急経済対策」でどんな予算をつけることにしたのかをリークされ、なぜ私がリークを受けたのか、そしてそのリークをどうとらえればいいのかを考えていたところで上記の報道に接した。そして考えた結果がその上の思考である。
★フジの「緊急経済対策」に20兆円のリークが本当で、10兆円の補正予算案のリークも本当なら、その差額は来年度予算編成分に回ることになり、そのリークによる既成事実作りは、15日の補正予算案を超えて、来年度予算にまで渡ることになる。国会は28日に開会すると「報道」されているが、それまでにこの報道のあり方を是認すれば、補正予算と来年度予算分までの緊急経済対策までを既成事実化させてしまうことにつながる。
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