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2013年1月17日 (木)

153.八ッ場ダム計画の終焉(1)

八ッ場ダムはあらゆる意味で日本を象徴する話である。
 
1.海外で評価されるレクリエーション価値を軽視している。
海外のカヤッカーが八ッ場ダムの予定地である吾妻(あがつま)渓谷を
紹介したレポートの存在を教えてもらった。スリル満点の動画もある。
 
2.八ッ場ダム計画は吹き飛んだ(事業根拠が消滅した)が判断が遅い。
東京新聞が1月6日、八ッ場ダムの必要性の根拠である過去の洪水量がなんの根拠もなく
引き上げられたことを明らかにした議事録の存在を掘り出して取り上げた。
今では最大「2.2万立米」としている過去の洪水流量が、
1947年から1949年の審議会で「1.5万立米」と議論されていた。
 
それが突然、「1.7万立米」に引き上げられたことが過去の議事録で分かったのだ。
当時の元官僚が、学者に託した資料が今になってスポットライトを浴びることになった。
引き上げられる前の流量「1.5万立米」なら、八ッ場ダムは最初から要らなかった。
ダムによる治水計画の根拠となる数字が操作されたことがついに確かめられた。
 
これは、このブログで26回に渡って記録してきた話とも符号する。
係数を操作したり、日本学術会議による権威付けを試みたりしたが、
結局、みんなウソだったんだぜnoteの決定的な証拠が出てきたわけだ。
 
八ッ場ダム計画は木っ端みじんに吹き飛んだのだ。
しかし、国交省は沈黙を続けている。
 
かつて川辺川ダムが木っ端みじんに吹き飛んだのは、農水省のウソだった。
「農家が水を欲しいと言っている」というのが川辺川ダムの根拠の一つだったが、
「水は要らない」という農家を支援する人たちが足で歩いて調べていくと、
同意書にハンコを押していたのは「死者」だった。それと同じ話だ。
存在しないはずの根拠が作りだされていたのだ。
 
八ッ場ダムは事実上、もう死んだのだが、
このサドンデスの事実を社会が受け止めるにも時間がかかりそうだ。
 
1月15日の国土交通大臣の記者会見に行ってみたが、
ある記者はそのことに気づいていないかのように
群馬県知事が大臣に八ッ場ダム推進を要請にいった件を聞いていた。
大臣もまた、「1年前の前田大臣が継続と判断を示した通り」に
早期完成を目指すと回答していた。

いつ、どのように、八ッ場ダム計画が死んだことに人々は気づくのだろうか。
ダム計画が終焉したことを少しの間、黙って見ていることにした。
 
少なくとも、ダム計画は吹き飛んだことを官僚達は分かっている
いや、上記で触れた利根川・江戸川有識者会議で、すでに変化は起きていた。
 
行きがかり上、八ッ場ダム計画を擁護せざるを得ない東大教授は、
平然としどろもどろになりながらも、つじつまを合わせてきた。
この会議自体がストップしてしまい、すでに3か月が経過した。
 
日程調整が行われ、予定を立てているふりをしながら、
10月以来、連続8回も会議の予定がキャンセルしているというのだ。
 
最初は、大熊孝、関良基、野呂法夫らによる論理的な議論や質問に対し、
ダム建設を容認する委員が、論拠や回答を持ち得ない故の時間稼ぎだろうと思っていた。
 
ところが、政権党たる民主党が負けるであろう選挙態勢になり、
選挙が終わるのを待つかのような時間稼ぎ状態になった。
 
選挙が終わり、政権が変わり、民主党大臣から公明党大臣へと変わり、
八ッ場ダムの上位計画である利根川水系河川整備計画の策定を
早期に行うとの発言があり、いよいよ、再開されるのかと思いきや、
(当然である。1997年の河川法改正以来、合計15年間サボタージュしてきているのが
 利根川水系河川整備計画の策定である)
またも利根川・江戸川有識者会議の第8回が開催される予定がキャンセルになった。
 
今度は、東京新聞一面の報道におののいたタイミングだった。
国土交通省河川ムラでは
八ッ場ダムの上位計画である利根川水系河川整備計画を策定せずに、
本体に着工したいところだろう。そのように策を練っていても不思議はない。
 
八ッ場ダムの必要性の根拠が「上位計画」から消し飛んでしまったからには
事実上、「上位計画」を審議させることは、八ッ場ダムの消滅を意味するからである。
私共は国土交通省が推定をした2万1千トンを
妥当だと判断した次第でございます。」と言ってしまった学者は、
国交省(建設省)のオウンゴール(議事録)で梯子をはずされた気の毒な状態だ。
 
メンツを重んじる日本社会で、最高責任者となった国土交通大臣は、
どのように八ッ場ダム計画の終焉に形を付けていくだろうか。
数字の操作をしてしまった限りは、死者のハンコと同じように
もはや、美しい退場にはなりえない。
 
川辺川ダムの場合は、農水省の落ち度で国土交通省は自分たちのメンツをつぶさずに
止めることができたが、八ッ場ダムは多くの顔をつぶすことなく止めることは困難だ。
 
日本社会を象徴する「誰も責任を取らない」形で止めることができるのか
それとも、誰かが腹をくくるのか。
その腹をくくる覚悟ができる人は誰なのか、関係者の顔を思い浮かべている。
 

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