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2012年12月27日 (木)

140.原子力規制当局の権限と意志

ちょっと横道にそれます。

組閣が行われた昨日、「原子力規制当局」は誰なのかを垣間見る一場面があった。田中俊一原子力規制委員長の定例会見が終わり、記者たちがわっと取り付いたのは、委員長ではなく、森本英香原子力規制庁次長だった。誰がこの委員会をコントロールしているかを、記者たちは見抜いてしまったのだ・・・。

これ幸い、と会見中に手を上げたが時間切れとなりできなかった質問を田中委員長にぶつけることにした。「活断層が見つかっている件ですが、ないから原発を建てた、なかったはずのものが出てきた。すると(原発設置)『許可取り消し』ということにならないですか?ズサンな審査だったということで。」

田中委員長は答えようかどうしようか迷っているのか、目を合わさずにいたが、次のように答えた。「・・・ダイレクトにはそうならない。」どういう意味か分からないので角度を変えて「インダイレクトにはなりますか?間接的には?」と聞いたが、やはり意味がわかる回答はなかった。

そこで、2歩隣にいる森本次長に同じ質問をすると、「明快」な官僚答弁が帰って来た。明快なは「答弁」ではなく「官僚」にかかる。
「ならないです」
「どうしてですか?」
「バックフィットしないですから」
「いや、ないから許可したのにあったんですよ?」
「直下にはないですから」

この明快な官僚答弁は、どう考えても間違っている。規制を後から新しく作った場合、諸外国ではその規制を既存の原発にもかけた。日本ではかけない(バックフィットさせない)仕組みを堅持してきた。今後はバックフィットさせるための仕組みを「今」作っている。そこまでは事実だ。

しかし、設置許可のための立地審査指針を見れば、活断層のあるのが「直下」であるかどうかは関係ない。「直下」どころか「敷地周辺」に活断層が通っていれば許可できないための「めやす」が書かれている。規制当局は、活断層が見抜けなかったか目をつぶってないことにして審査し、「安全側」ではなく「安全神話」に則って次々と立地を許可してきた。そのズサンな規制実態がフクイチをきっかけに明らかになっただけだ。

〇原子炉立地審査指針及びその適用に関する判断のめやすについて
昭和39年5月27日 原子力委員会決定

http://www.nsr.go.jp/archive/nsc/shinsashishin/pdf/1/si001.pdf
a 敷地周辺の事象、原子炉の特性、安全防護施設等を考慮し、技術的見地からみて、最悪の場合には起るかもしれないと考えられる重大な事故(以下「重大事故」という。)の発生を仮定しても、周辺の公衆に放射線障害を与えないこと。

この原子炉立地審査指針に従わないズサンな許可が行われていたと判断して、「許可取り消し」をするのが筋ではないか。福島第一原発事故は想定外ではなかった(★)ことも明らかだ。規制、審査がズサンだったことはすでに福島で証明されたとも言える。現・規制当局がこのことを直視しなければ、国民の信用を勝ち取ることはできない。本当に安全側に立った公正な判断を原子力規制委員会が行うことも、「脱・原子力ムラ」住人となることもできないのではないか。

なお、上記の指針も、平成18年の指針の指針も、それらの書きぶりでは、活断層があったとしても「安全機能が損なわれ」ないように設計できるかのような「安全神話」の規制内容になっている。これから作る審査指針は、間違っても、このような書きぶりにならないことを願いたい。

○発電用原子炉施設に関する耐震設計審査指針
平成18年9月19日 原子力安全委員会決定

http://www.nsr.go.jp/archive/nsc/shinsashishin/pdf/1/si004.pdf

耐震設計上重要な施設は、敷地周辺の地質・地質構造並びに地震活動性等の地震学及び地震工学的見地から施設の供用期間中に極めてまれではあるが発生する可能性があり、施設に大きな影響を与えるおそれがあると想定することが適切な地震動による地震力に対して、その安全機能が損なわれることがないように設計されなければならない。

本来、原子力規制委員会は、今までの規制(審査指針)の何が間違っていたのかという総括からはじめるべきだっただろう。ところが、原子力規制庁ペースで忙しくさせられて、そうした考え方が「規制」された原子力規制委員会になっている。原子力規制庁が準備したたたき台をもとに新しい指針の議論を始めてしまい、来年1月にはすでにパブリックコメントが行われようとしている。

この「規制」のありようにあまりにも危うさを感じるので、パブリックコメントとは別に、原子力に対してもっとも厳しい目を向けている市民団体や立地自治体などからも公開で意見聴取をすべきではないか、と聞きに定例会見へでかけていった。

しかし、田中委員長の答えは、私が例示として使った米国の事例(規制を新たに設定するときにはパブコメのほか公開で意見聴取を行う)を捉えて、なぜか「NRCはすべての機会にそうした意見を聞いているわけではない」という理屈に合わないものだった。

規制してやる!という強い意志を外に見せびらかす必要はない。淡々とやるべきことをやればいい。しかし、「専門家」の過信と怠慢が福島第一原発事故を起こしたのだから、最も厳しい批判に公開の場で耐えうる指針であることを、国民にわかるように見せなければ、規制行政に不可欠な国民の信頼を勝ち得ることはできない。死活問題として死に物狂いで審査を通そうとし、通せる規制にしようと「公開質問」などで圧力をかけてくるであろう被規制者たる電力業界に毅然とした態度で臨むこともできないし、世界最高水準の規制を作ることも無理だ。なぜ、そうしたことがわからないのだろう。実に不思議な「規制当局」の姿が見えてきた。

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