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2012年10月 6日 (土)

78.利根川・江戸川有識者会議(4)低水管理 続き

それで低水管理の話だ。
二つ前のコマで整理した論点うち、低水管理の話は
岡本雅美・元日本大学教授がほぼ毎回、持ち出しても、無視され続けてきた話である。

常に高水管理(治水)の妥当性ばかりが熱く論議されてきた。こんな感じだ。↓

常に、河川官僚と河川工学者(河川ムラ)が
(1)100年に1回起きる洪水とか、200年に1回起きる洪水とか、
   対処する洪水の規模を(河川ムラの常識=惰性で)独断で決めて、
(2)100年だか200年だかの基本高水(=ダムがない場合に洪水が来たときの流量)
   机上の計算で(係数を駆使して)決めて、
(3)ダムで貯める量、河道を広げたりして流す量を、
  単純にわけて「治水」だと言い張ってきた。しかし、たとえば利根川(P.21)であれば、
  ダムがない場合に毎秒22,000千トンが八斗島(やったじま)を流れるところを
  ダムで貯める量(5,500)河道を広げて流す量(16,500)で対処すると言ってきた。
(4)しかし、(1)(2)(3)はすべて想定の重なりに過ぎず、非現実的だと批判されてきた。

3つの論点がある。

論点1.決定プロセスの問題

200年に1回の洪水に対処するって?
 西暦1812年の人間たちに私たちは治水を期待しただろうか?
 西暦2212年までに起きる洪水対策を子孫は私たちに期待するだろうか?

100年に1回の洪水に対処するって?
 西暦1912年の人間たちに私たちは治水を期待しただろうか?
 西暦2112年までに起きる洪水対策を子孫は私たちに期待するだろうか?

それとも30年に1回の洪水にきっちり対処するか?
 これは重要な政策判断なのだが、
 これは国会でも議論しない、パブリックコメントでも聞かない、
 河川法16条で審議会にお墨付きをもらって国交省が独断で決めてきた。(上記の(1))
 何が妥当か国民の意見を聴いたらどうなの?という話。

 これには「河川管理者が責任を持って決める」と答えてきたが責任を取ってきたのか?
 責任をとらない、とれないから裁判に訴えられてきたではないかという話。

論点2.ダムで貯める量の計算が合わない問題

今まで利根川本流の上流域で6つのダムを作ってきたが(お疲れさま!)
この治水能力は6つ合わせても毎秒1,000トン程度で、
比較的大きいと宣伝されている八ツ場ダムでも毎秒600トン程度。
ダムで貯めるという毎秒5,500千トン-(1,000+600)
残り毎秒3,900トンをどうするの?という問題で、
これは国交省に聞いても「努力する」とかゴマカシの答えしか返ってこない。
もうダムの適地もなければお金もないから、
毎秒5,500千トンを貯めるのは絵に描いた餅だという話だという話。
実行するのだと言うならどれだけ山河を壊すのかという話。

論点3.そもそも流量を決めることに意味があるのかという問題

・毎秒22,000千トンという机上の計算は組織内外から疑われている。
・100歩譲り、毎秒22,000千トンが正しかったとして、
 それを超える洪水がきたらアウトだねというストライクゾーンの小ささ
 それで洪水被害起きる事例は少なくない。
・30年に1度の目標と政策判断すればダムは不要になる。
・一方で半世紀かけても完成しないダムを作りつづける「治水」は誰のものか?
・たとえば20年30年に1度の洪水でも壊れない堤防整備が先ではないかという話。

だいたいこの3つの論点に集約されるが、
突き詰めれば、ダムを作るための「治水」じゃなくて、
命を守れる治水のあり方に変えようとというのが、
この問題に関心をもつ良識派の合意到達点だ。

ところが、この良識派の合意到達点は意思決定プロセスからは阻害されてきた

これはこれで重要なことであるがために、「低水管理」の話は常に疎かだったのだ。

(続く)

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川は誰のものか」カテゴリの記事

コメント

上野さん、梶原さん、公開不要とのコメントくださったI先生、まとめてで恐縮ですが、有難うございます。

それと、メールで実名、コメントその他で匿名でくださった研究者の方、気にされていたのは、この低水管理の問題だと思います。お待たせしました。

噛み砕いてお伝えすることがワタシの使命なので、焦らずじっくりお願いします。

感想を2つ。
1つめは、河川管理と責任の話。差している内容は水害だと思うので、それを前提にすると、1984年に最高裁が大水害訴訟判決で「大東基準」と呼ばれる判例を出してから、水害訴訟は、河川管理責任を問うツールとして、機能不全に陥っていた。過大な基本高水を設定すれば、その河川は河川改修が終わっていない未改修河川となるが、その未回収河川では、実質、河川管理者の責任は問えない、「悪魔の証明」を原告・被害者に要求する判例基準。
だから、法律論のレベルでいえば、河川管理と責任ってよく言うよと思う。法律論として「河川管理責任」を見れば、それは現実的に達成可能な河川整備計画を立ててはじめて発生する。非現実的な(過大な)計画は、水害発生時にも賠償責任が生じないという背理がある。
この点は、
http://blogs.yahoo.co.jp/spmpy497/7284576.html
http://blogs.yahoo.co.jp/spmpy497/7284714.html

2つめ。
正常流量の意義を問うことは、渇水対策として今や、極めて重要。なぜなら、水源開発をたくさんやってきた結果、平常時には水需給の不均衡は解消されている状況の中で、時折訪れるかもしれない渇水のために、どういう対策が必要かというテーマなので、ハードな対策ではなく、ソフトな対策の方が有効性が高いのは明らか。
正常流量の一時的緩和も、そのソフト対策の1つなはずで、この辺のルール化を急いだ方がよほど効率的。
この点についても、
http://blogs.yahoo.co.jp/spmpy497/7129940.html
http://blogs.yahoo.co.jp/spmpy497/7140884.html
http://blogs.yahoo.co.jp/spmpy497/7220127.html
http://blogs.yahoo.co.jp/spmpy497/7262237.html
らを参照。

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