62,四日市に学んでいない東電、沖縄に学ばない公文書管理
過去と現在の複数の取材を同時に進めると
日本社会が「何も学んでいない!」ことへの驚きでたじろぐ。
●企業の責任
7月末に取材した四日市公害訴訟のシンポについて
Actio10月号向けに記事にした。原告勝訴の判決の中にはこう出てくる。
「少なくとも人間の生命・身体に危険のあることを知りうる汚染物質の排出については、企業は経済性を度外視して、世界最高の技術・知識を動員して防止措置を講ずべきであり、そのような装置を怠れば過失を免れないと解するべきである」
社会が何も学ばなかった結果が「規制の虜」となった福島第一原発事故だったのだ。
●公文書管理
「機密を開示せよ 裁かれる沖縄密約」西山太吉(岩波書店)2010年9月
を読んでいるさなかに
8月29日にMV22オスプレイの配備に関する辺野古基地問題の防衛省・外務省ヒアリングを取材した。(沖縄ジュゴン環境アセスメント監視団、沖縄・生物多様性市民ネットワーク、沖縄一坪反戦地主会・関東ブロック、日本自然保護協会と国会議員によるもの)。
若干の違いはあっても、問題の根っこはまったく同じだった。
これは今週の週刊金曜日のアンテナ記事になる。
● 上記の本を本日後刻、移動しながら全部読み終わったら、次は
「報道弾圧」元朝日新聞記者 吉竹幸則(東京図書出版)2011年12月
を読む(一気に密度濃く読もうと思ってまだ読んでいない)。
この本は、私が1995年に社会の片隅から追い始めたことに先行して
社会のど真ん中で起きていた河川行政を巡る
「報道の裏側」の謎解きになるのではないかと期待している。
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