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2012年6月 1日 (金)

23.河川整備計画の理想の作り方(3)

慌てたのは国交省で、宮本博司さんは本省に呼び戻されてしまう。
そして、国土交通省河川局防災課長に任命され、
山手線の内側に行動範囲を狭められてしまった。

淀川で始まった「河川整備計画」(河川法16条の2)の作り方は
「淀川方式」と呼ばれ、全国にこれが広がることが待望された時だった。

あのとき、確かに、一つの理想型が追及されていた。
住民と共に作る「河川整備計画」(河川法第16条の2)のあり方だ。

ところが、広まったのは当時「吉野川方式」と言われたもので、
住民は住民、学識者は学識者、首長は首長とバラバラで
河川管理者が意見を聞き置く、従来型の「参加」方式だった。

時は流れ、東の大河、利根川の管理者は
西の大河、淀川を尻目に、その後も
「河川整備計画」(河川法第16条の2)の策定をサボリ続けた。

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